長崎に平和を想う
8月6日のヒロシマの日にも書いたが、ブログにおいて、原爆投下の正当性
に対して、肯定、否定をたくさんの方がしておられる。
戦勝国と敗戦国の違いは厳然とあり、また罪なき何十万の方々が一瞬の
閃光の元で死傷したのも事実である。罪を憎しみ合うものではないと思うが
その罪を肯定するものでもない。肯定しては何十万の死傷者は浮かばれぬ。
過ちは反省し、今後この様なことのない社会を作らねばならぬ。
その後のベトナム戦争の枯葉剤や、低レベル放射能を弾丸に使った兵器
の製造・使用等、充分に反省されていないと思われる『人類に対する冒とく』
が未だに繰り返し行われているのは残念な限りだと思う。
声高に批判するつもりなどないが、あの閃光の中で、生きたかった人の気
持ちを代弁することぐらいはできると思う。
もうやめよう。これからは不幸な閃光が一瞬たりとて生じない世の中を作ろ
うよ。自分の周り5人にきちんとこの気持ちが通じたら、いつか殺戮のない社
会ができると思う。
長崎の鐘がこれから永久になり続ける事を切に祈る次第である。
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