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笑いの地域性

 笑いの切り口をまざまざと考える場がありました。東西によってこんなに違うのか・・・、

そう思う場でした。

 私は関西人ですから『笑い』は尊いモノです。『男前』よりも『面白い』人がモテる文化で

す。どうやって笑わそうか?と言うのを学校の教室でも考えていました。

 『儲かりまっか』

 『ボチボチでんな』

これが商人文化です。自分を上に上げないんですね。『イヤラシイ』と取るかどうか

は判断にお任せしますが、文化レベルは高いんじゃないかなと私は思います。

東京(埼玉)の人はここの感覚が違うのですね。大阪はボロクソです。汚いとか

下品だとか・・・。これは何も大阪だけではないのでしょう。実際会話でも・・・

 『俺は賢いけれどお前はバカだ・・・』

 『俺は儲かっちゃったけれど・・・相変わらず貧乏か』

的なお話しに終始しています。これは『寅さん』とか『毒蝮三太夫』的なお話しに見られ

るセンスなのかな。ビートたけしさんの漫才時代や、綾小路きみまろさんもこの手の

お話しをしていますね。

 根本的なお話しですが『あの寅さん』が備後屋さんに『相変わらずバカか?』とか、『貧

乏人の発想はまずしくてヤダね~』と言うからそこにおかしみがあるのであって・・・ と

私には思えるのですが・・・武士の国、武士の文化と言うモノなのでしょうかネ。

二人でお話しするときにも、自分の方の立場を下げて滑稽噺をするのが洋の東西を

問わずお笑い文化だと大阪人はそう思っています。チャップリンだって自分を滑稽に

演じていますよね・・・。

 自分が本当に賢いと思っていて相手にバカだとか言うのは洒落になっていない気が

私にはするのですが・・・。自分を貶めて笑いを取る分には誰も傷つけませんが、犠牲

になる人を見つけてボロクソに言うのは・・・。『切り捨てご免』と言う感じがしますね。

切り捨てた方は『ごめん、ごめん』かも知れませんが、『切り捨てられた方は・・・。』これ

よっぽどの信頼感がなきゃダメなんでじゃないのかな。

 強いて言うと、『毒蝮さん』も『綾小路きみまろさん』も『ビートたけしさん』も【おじいちゃ

ん・おばぁちゃん】と言うくくりでバカにしてお話ししますが、そこは愛情があるから笑いが

取れる。お客さんは『この人は私たちをよく観察してくれている。』と感じているし

だからこそ、安心して笑ってくれるんです。同朋意識を感じるのです。そこには芸人の

愛情があるんです。この愛情が『信頼感』となって毒をはかれた本人も笑えるんじゃない

のかな。 (自分だけはジジババと思っていないと言うのもちょっとあります)

こう思うのは私が大阪人だからかな~。『笑いの構造・ユーモアセンス』の地域性?

一歩間違えたら『いじめ』になるんじゃないの?と心配になってしまいます。毒を吐くの

は『笑い』の中では高等技術。自分が充分落ちていないと『寅さん的な雰囲気』を創れな

いんですよね。ビートたけしさんが綾小路さんと語るシーンを昔、見たことがあります。

たけしさんは『この年齢になって噺が自分と合ったんだね』と言っていたのが印象的で

した。

 ユーモアのセンスと言うか、『笑いの地域性』を考えるいい機会があったものですか

らちょっとその部分を切り取ってみました。

(注)

 私と埼玉県人のこの友達とは肝胆相照らす仲です。キツイ事(毒)は吐きますが

まぁそれも彼の個性として捉えています・・・

 

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