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危機管理

 事務所の移転作業がようやく終了です。県庁の免許手続き、事務所の明け渡し手続きも

ようやく終わりました。(明日免許証の書き換え交付には行く予定です)

 事務所の移転作業は結構大変でしたね。

 さて2重生活もこれにて終了ですので、北浦和で心機一転のお仕事をさせていただく

所存です。

 佐々淳行氏著『重大事件に学ぶ危機管理』を読んでおりまして、我が意を得たりの想い

がありました。『私がやらずに誰がやる』と言う言葉です。重大な事項に遭遇した時に、

まずは『私がやらずに誰がやる』と言う意識を持つ事だと氏は説いておられます。

 少し前の出来事ですが青森りんご災害の日銀マンのお話しがあります。

 1991年の台風19号で青森に大きな被害が出ました。当時の日銀青森支店長は、農家

の嘆きを見て居てもたってもいられなくなり、落ちたりんごを集めて一部はジュースにす

べく飲料メーカーに紹介をし、それでも余ったものは箱詰めにして売る。そして日銀の

本店にも買えと言って送りつけたそうです。ところがこれが日銀幹部の逆鱗に触れる。

こんなことは支店長の仕事じゃないと。私は佐々さん同様、これこそが支店長だと思い

ます。これこそが本当の仕事ではないか、と。

 まだ彼のお話しは続きます。阪神淡路大震災時の日銀支店長なのです。

 異常な事態に遭遇し彼は何をすべきか考えました。『日銀券の供給を絶やさぬ事だと。

モノがあってお金がないと言う状態が暴動を誘発する。私の任務は暴動を起こさぬよう

に日銀券を供給し続ける事だ』と。

 そして大金庫の扉が停電で開かなくなる前に日銀券を全部運び出してしまう。金庫か

ら出した紙幣は1日分の兵庫県の需要を充分賄えるほどの量をというから凄まじい。

何かあったら・・・ではないのです。保管場所は市内の銀行すべてに電話をし、最もいい

状態であったさくら銀行本店営業部に日銀神戸支店を置き、そこに各銀行の共同窓口

を開かせた。同時に警察に警備の依頼もする。そして『八項目の緊急対処方針』をまと

め、通帳なしでも払え、印鑑がなければ拇印でも払え、焼けた紙幣なども換えるように・・

・と非常通達を起案し、NHKのスタジオに行ってこれを放送してしまう。取り付け騒ぎを

起こしてはならない・・・この時臨時窓口に3000人の人が集まっていたのだが徐々に余

裕を取り戻し、お金は出そうだから今日は帰ろうか・・・となったのだそうです。

 まだ続きます。取り付け騒ぎが収まった後は市内の様子を見て回ります。あちこちの

自販機に人が群がり自販機を蹴飛ばしたり倒したりしていたそうです。コインがないので

す。『コインを供給しないとまた略奪がおこる。』・・・100円玉で9枚、10円が10枚の千円

パックを4000袋作り、自販機に群がる人達に『義捐金』ですと配って廻ったそうです。

 この話を聞いて佐々さんがこの支店長さんに後で尋ねたそうです。『400万円もの使途

不明金を出してどうされるつもりだったのか?』と。『自分の責任でやりました。どうせ後

から義捐金を出すのだからその中に含めて出してしまえばいいと。』それより佐々さん、

喜んで下さい。日本人の素晴らしさが発揮されました。コインを渡すと奥さん方が手分け

してコインを分配してあっちのスタンド、こっちの自販機を走りまわってジュースやウーロ

ン茶を買って来たかと思ったらみんなで回し飲みし始めたんです。まだ支店長の話は

続きます。千円入りの袋を差し上げようとすると『お札ならありますからじゃあ両替してい

ただけます?』とタダで受け取ろうとしない人が多かった事。4000袋配った内、2500袋

が『ありがとうございました』のお礼付きで戻って来た事。こんな話もありました。神戸

大学の女学生が泣きながらやってきて『預金も何もないが長野の実家が心配をしてい

るので実家に帰りたい。旅費に5万円貸して下さい。』と訴える。学生証を見せて貰って

貸してあげたそうです。すると三日後に返しに来た。『あれ?帰らなかったの。』と聞くと

その日に帰ったのだが長野の親御さんから『すぐにお返ししてきなさい』と言われ、実家

に一泊しただけで戻って来たと答えたといいます。支店長はとても嬉しそうだったと佐々

さん。

 さらにもう1つ。誰も居なくなったコンビニで、商品が棚から落ちてしまっていたお店で

すが誰も商品を持ち帰ろうとしなかった。その場で即席の『販売管理委員会』が出来て

食料を手渡す係の人、ダンボールにお金を受け取る人(もちろん誰もお金に手はつけ

ません)・・・公共の秩序を神戸の人々は自発的に守ったそうです。

 この後の彼に関する日銀のゴタゴタはみっともない話しですが、私も会社こそ違え、

銀行員でしたのでとても胸のすく思いです。やはりこうありたいと思います。

 『私がやらねば誰がやる』と言う想いは必要です。先日、銀行時代の友人からあの頃

の私はいろんなお客様に色んな事を言わされて、無理をしている様に思ったと言う発言

を得ました。私の取り組んだ案件で実損は出ていません。金利はキチンといただいて

います。この金利で自分たちが給与を貰い、このお金の多寡でボーナスを(良い成績で)

貰っている事を忘れている様です。この中の1社では数千万単位の手数料を数年前に

銀行は受け取っています。困った時に支援したからの結果です。お金が必要な先に

関して、商品や行政上の資格を取得して貰い行政からお金を保証して貰う(資金計画

については各社長と一緒に考えました。)。都内で20件ほどしか出ていない資格の内、

私が担当する小さなエリアで3件の認証企業を私が主導して作りました。行政がこの

企業は技術を有する企業だと都が認めてくれました。その御免状で保証協会がお金

を保証してくれてその企業の技術が、商品が世に出て行きました。

 私の弱みを握られていたと思った、とこの友人から言われましたが、窮状の企業を

また技術があるのに世に出られない企業にお金を出してそこを支援するのが銀行の

役目であり、どうやってそれを実現するのかを考える事が職責だと私は思っています。

 私は過去の銀行支店経験で、そのお店の優良取引先を持たして貰うケースが多かっ

たです。そして社長さん方からいろんなお話しを聞きました。『○○不況の時よぉ、俺の

会社も危なかったんだよ。でも△△支店長が本部に直談判してくれてよ。それて今があ

るんだよ。だからお前んとこの銀行には感謝してるんだよ』・・・。こんな会社がたくさん

あるから今も銀行が持っているのです。金融危機の時、私は役席でしたけれども、金

庫には本当にお金がなかったです。ただこんな社長さん方が、今度は俺が銀行を救う

番だと言ってくれた事が何度もありました。普通にお話ししていましたけれども話しなが

ら涙が出た事がたくさんありました。

 日銀支店長とははるかにスケール感は違いますが、琴線に触れる仕事とは・・・何か

と私は思います。日銀支店長のはるかに越権した行為が神戸市民の琴線に触れて、

暴動を未然に防いだのだと思います。

 『私がやらねば・・・』の精神って大切だと私は思っています。

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