芸能のお話し②
さて、私の好きな落語のお話しをいたしましょう。
人間国宝の桂 米朝師匠は弟子の枝雀師匠に『愛宕山』と言う落語を演じるのに、あれ
だけオーバーにやってたら身体か持たないと言ってました。事実、枝雀師匠、40分の落語
が終わって楽屋に戻ると汗びっしょりで動けない。
米朝さんは『枝雀さんはもう一度壁にぶつかって枯れた芸になるだろう、その時の枝雀
を見てみたい』とおっしゃっておられました。つまりはオーバーな表現で創られた枝雀ワ
ールドからオーバーな部分が取れてくると本当に自然な落語の国、名人の境地に行け
るのではないかと考えておられたのではないでしょうか。ごく一部の方しか『名人』の域
に達せられない訳で、それぞれそこに到着するのにはいろんなルートがあるのでしょう。
枝雀師匠は爆笑王でした。名人は必ずしも爆笑を取ると言うのではないと思います。
巧いのと笑いの量は必ずしも一致しません。ただ枝雀さんなら。。。と言う想いは今で
も私にはあります。本当に亡くなられた事が残念です。
柳家小三治師匠もテレビ番組で同じ様なお話しをされています。
落語って言うのは昔の名人上手が脈々とやって来た芸であり、その中の面白いモノが
今に残っている。演じる際には『小さく、小さく・・・』と。演者が前面に出るのではなく、噺
を前面に出せ。落語って言うモノは噺そのものが面白いんだから。。。
米朝師匠と言葉こそ違えども同じ話しをされているのだと思います。
ヒトは疑い深い生き物です。噺の中で不自然な動きやフレーズがあるとたちまち観客
は落語ワールドから追い出されてしまいます。心地よくワールドの中に居たいのですが
演者さんの呼吸や間、仕草のひとつひとつで、ワールドから追い出されてしまうのです。
昔のテレビで米朝師匠がざこば師匠に稽古をつけている所を見た事があります。
女性がお裁縫をするシーンを演じているのですが、糸切り歯で糸を切る仕草の演じ方
を注意されておりました。糸の『長さ』の表現が違っているって。もうちょっとざこばさんの
お話しをしましょう。枝雀さんとざこばさん、米朝師匠のご自宅でお弟子さん生活をされ
ておりましてその際、椅子を2つ置いてこっちが番頭、こっちが丁稚さん。。。と決めて
顔の振り方を研究したり、噺の中に出てくる池や庭のシーンではどんな形、大きさは、
何の木が植わっているなどを話し合っていたそうです。ざこばさんはそんなん噺に関係
ないからどうでもいいやん。。。と言うですが、枝雀師匠はそんな所はきっちりせなアカ
ンと譲らなかったそうです。そんな決め事と言うか噺に触れない所まできっちりしている
から『ワールド』がきっちりしていて、一度枝雀ワールドに入ったらどっぷりと浸からせて
くれてかつ笑わせてもらえる。。。最後のオチで落語の国から現世に帰って来れて、ああ
心地よかった、面白かった。。。となるのでしょう。(ざこばさんの名誉の為に言っておき
まずかざこばさんの落語はかみまくりますが、そんな事は気にならない位、やっぱりざこ
ばさんの落語ワールドも素敵です。あまりざこばさんの落語はテレビで流れないのです
がざこばさんの落語もとても面白いですよ。)
本来は落語は、(その他の芸能全般にも言えると思いますが) 笑いの量はあまり関係
なく、その噺の中にどっぷり浸らせてくれたら、それだけで充分に心地いいもんなんです。
それに『笑い』が加わるので尚の事、落語は素晴らしい芸能なんじゃないかな~と私は
思っています。
落語はただ笑えるものではなくて、人情噺と言う分野や怪談噺なんて言うのもあります。
先にも書きましたけれど、落語はライブが一番です。人情噺をやられると私なんかは
すぐに泣いてしまいます。一緒に落語に行った人から、私が泣くか泣かないかを見てい
る方が面白かった なんて言われた事もあります
噺家さんに言わせると、泣かせるよりも笑わせる方がはるかに難しい。。。との事で
した。聞く側からすると気持ちよく泣かせてくれたら、ああこの人は巧いなんて思うので
すが、なかなかにそうではないのですね~。
もっとも泣かせる為にはキッチリ噺の中にお客さんを取り込まないとダメですから、
それだって相当の話術は必要ですよね。
また話しが長くなって来ていますが、『安心して聞いていられる』と言うのは芸の『ワー
ルド』に客が身を委ねられると言う事でありまして、それには疑り深い観客を完全に
騙しきるだけの細かな配慮が必要です。落語などは座布団と扇子だけで出来る芸で
す。しかも正座をして動きに制限までつけて演じる芸です。だけどおおよそ表現出来
ないモノはないと思う程にありとあらゆるものが表現出来ます。頭が取れたり、胴が
切れたり。。。そんな馬鹿な と思うモノが表現されてしまいます。そんな事もある
わなぁ~と思ってしまうのですね。
大道具、小道具に拘るのも良いですが、落語みたいに何もなくても観客が勝手に
想像する事で演者側の意図をくみ取る事も出来るのです。
ただ演者側が完ぺきに演じて貰わなければ、虚構がバレたら台無しになってしまう。
この辺に巧さが出るのでしょうね。
お芝居では『巧さ』を表現できると思うのですが、バラエティーではなかなか『巧さ』は
表現出来ないだろうと思うのです。そして『芸』を身につける事も出来ません。
テレビはせっかちですので『原石』をポンポン出してしまって、磨かれる前にポイッと
芸人を使い捨ててしまいます。寄席や歌舞伎、お芝居では徐々に芸を磨いて行って
くれるのですが。。。
上岡龍太郎さんが『テレビは素人芸がウケる』と言ってました。『より身近に起こりそう
な話しの方がリアリティがある』のだそうです。コツコツ積み上げる芸はウケなくなった。
さんまさんや鶴瓶さんがその代表格だと話していました。
たださんまさんや鶴瓶さんはしっかり残っています。やはり芸の力量があるのでしょう。
若手のみなさんもしっかり芸を磨くべきなのですが。。。一発屋に終わって行く人のなん
と多い事でしょう。一発も当たらないより良いだろう。。。なんて事も言えるのですが、や
っぱり上手に演者さん達もテレビとお付き合いしていただきたいものです。
素材はそうそう面白い事はないのですぐに飽きられてしまいます。その後で残るか残
らないかは『芸』の力、力量なんでしょうね。
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