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ALWAYS 3丁目の夕日

  『ALWAYS 続3丁目の夕日』・・・先週に引き続いての放送でした。明日から、『ALWAYS

3丁目の夕日 '64』と言う新作も封切されるとの事ですね。

 2週に渡る『ALWAYS』、私はいろんな意味で身につまされる映画でした。なんとも切なく

なる映画だったなぁ~。『いろんな』を今は書けないし、書きたくないのでそれはこれから

先、20年くらい経った時に振り返ろうと思います  

 私の身の周りの噺は置いておいて、いろんな意味でのひとつは映画で出ていた『つば

め号』です。

 ちょっと形式は違いますが、今から2年前、ラストラン間近の頃、Hさん親子を乗せて走っ

たボンちゃんの写真です。つい先日までボンネットの電車は走っておりました。

 Photo

 上野駅にて。急行・能登号。

 『続3丁目の夕日』では文学さんのところに小雪さんが戻って来てくれましたけれども

きっと長い年月の中で、いろんなドラマを運んでいたんだろうなぁ・・・と思いながら映画

をみておりました。私もこの能登号に乗って数年前にひとりで金沢に行ったものです。

 写真を整理しておりましたら、青森に行った際の『あけぼの号』も出て来ました。

 Photo_2

 青森駅にて。

 2時間遅れで青森に着いたんですよ。あけぼの号自体は現役でまだ走っていますが

 牽引する機関車がこの赤いEF81から青いEF64に代わっております。

 夜行列車や寝台列車は時代の波の中で無くなっていく乗り物のようです。

 青森のB寝台ソロや金沢の夜行列車は長時間乗りましたので『快適か?』と尋ねられ

 ると、電車好きの私でさえ、なかなか『YES』とも答えにくいのですが  それでも

 やっぱり古き良きものも遺してもらいたいなぁ~と思う次第。

  電車の噺は置いといて・・・。

 3丁目の夕日の頃はみんなが貧しかったんですよね。拓郎さんの直近のアルバムの

『フキの唄』にもそんな事が唄われておりました。ちょっと歌詞を紹介しましょう。

  僕が子供だった頃 日本は貧しくひ弱で

   お金もなく 肩寄せあって生きていた 

   物が足りないのは みんな一緒だし普通だし

   何よりも平和が大切でありました

   (途中略)

   短い旬の味は その季節まで待てばいい

   人の世は常に満たされなくていい 

   何かが足りないからと それが今ここに無くても

   大丈夫 心が貧しくならなけりゃ

   (途中略)

   人が生きる道もまた おいしい事ばかりじゃない

   足りなくて満たされぬ日が多くある

   何かが足りない時も その事を受け止めたい

   何もかも求め過ぎずに 穏やかに

 暮らしが豊かになってくると人の心は荒んでくるのか、あの頃はみんなが揃って豊かに

なる過程だったからなのか、本当に肩を寄せ合って生きていた様に思います。私も大阪

の下町で暮らしておりました(私は1968年生まれですからちょっと映画よりもちょっと後の

産まれです)。他所の家庭は知りませんが、我が家はそれほど豊かではありませんでした

がご近所さんと本当に肩を寄せ合って幸せに育ちました  

 中途半端に豊かになると何でも満たされると勘違いするのかな。譲り合う心がなくなっ

てギスギスしてくるのかも知れません。みんなが豊かになれる様な経済環境にないのが

悪いのかな。あの頃の暮らしで私は充分に満足でした。

 豊かになると自分の価値も高くなったと勘違いするのでしょうかね。なんだか自己主張も

強くなって来て、権利ばかりを主張するようになってしまう様です。人口減少、日本の衰退

が始まると、その例で行けば自分の価値も低くなるので自己主張も抑えて行かねばなり

ません。これは案外辛い事かも知れません。誰しも没落は望まないのでしょうけれども

日本全体が没落すると仕方がないのでしょう。

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