カンブリア宮殿・・・ブラザー工業 社長 小池利和さん
ブラザー工業と言えば『ミシン』が有名です。プリンターは目にしますがキャノンなんかに
比べると・・・と言うイメージを持っていました。
ブラザー工業のご紹介をいたしますと、創業は意外に古く1908年創業。本社は名古屋だ
そうです。言わずと知れた家庭用ミシンのトップブランドですが、ミシンと言えば、ブラザ
ー、蛇の目、リッカーが御三家です。リッカーは既に倒産し、蛇の目も一時おかしくなりま
したね。ミシンは既に成熟商品で、各家庭に行きわたると、2台、3台と売れると言うモノで
はありません。それが御三家の他の会社に暗い影を落としているのでしょう。ブラザーは
戦後は訪問販売でミシンを売っていたので多くの販売員さんを持ち、顧客もしっかりと持っ
ていた。少額のお金を積み立ててもらってお金が貯まれば機械が届くと言う様なお商売を
されていたそうです。1970年頃から量販店が増え始め、それと同時にミシンが売れなくな
っていく。そこでミシンの製造で培った技術から派生する商品としてモーターをうまく活用し
た扇風機、オルガンや電卓などを開発して行く・・・。これがブラザーの多角化DNAの源だ
と解説されておりました。
ブラザー工業は売上5028億円。従業員数は2万9800人。売上の70%は海外で稼ぐ
企業で実に44の国と地域でお商売をしているのだそうです。
ミシンが頭打ちになって乗り出した家電ですが、しっかりした技術がおありになってい
たからでしょう、1970年代には売上の20%は稼げる柱に育ったそうです。また1961年に
タイプライターを開発、これまた低価格で良いモノが出来たからなんでしょう、同じく13%
は稼ぐ力を持つに至る。タイプライターと言えばアメリカです。アメリカで情報機器分野に
進出し、プリンターやファックスなども手掛ける様になって行きます。ロス五輪の時には
事務局さんに3000台のタイプライターを提供するまでに成長していたそうなんですよ。
これは凄い事ですね。ところが・・・タイプライター3000台を納品していた頃に、PCの普
及が始まります。PCにはプリンターですが、タイプライターで成功体験を持ったブラザー
さんはプリンター開発に乗り遅れてしまう。そうこうする内にレーザープリンターが世に
出るとタイプライターの市場は急速に萎んでしまいます。トナーの技術がブラザーさん
には無かったんですね。無い技術は他所から買ってでもと業務提携などを駆使して87
年にようやくレーザープリンターを開発するのですが、市場は既に他社に席巻されてお
り商品は出来たモノの苦境は続いたそうです。
小池社長さんはその頃、アメリカにいたそうで、他社に押えられた市場を奪取すべく
ニーズを汲み取る為に懸命にリサーチをしていたそうです。丁度具合がいい事にはアメ
リカではSOHOがこの頃に流行るんですね。天はブラザーを見放さなかった。SOHOが広
まると狭い事務所に大型の機械類を置くのは、スペース的にも金額的にも大変になって
来る。つまりはファックス、プリンター、コピーの機能を持った小型で安い複合機が求め
られる様になるんですね。そこに苦境に立ったブラザーが目をつけて『小型複合機』を
作ってしまう。これは売れますよね。読みは当たって抜群に受けた。これで複合機市場で
トップクラスに帰り咲いて再び事務機器のトップ企業に躍進出来たそうなんですね。
小池社長は『成功体験に胡坐をかかないで、次を考える事。10年先、20年先にビジネ
スが拡大できるのかと言う事を常に考える事が大切です』と語っておられました。なるほど
説得力がありますよ。
多角化DNAのお話しとしてこんな話しもありました。筆頭株主のハゲタカファンドと呼ば
れた『スティール・パートナーズ』が株主提案として『経営資源を事務機器部門に集中せよ』
と言ったのですが、ブラザーはこれを断固拒否したのだそうです。『モノ作りには時間がか
かるもの』であり、事業を集中させる事はブラザーを弱めると判断したのだ、との事でし
た。ザックリとしたお話しですが、その瞬間はとても大変な交渉だったのだろうと推察し
ます。ただ多角化のDNAは大切に温存された訳ですね。
JOY SOUNDもブラザー工業が創った柱で、世界で初めて通信カラオケとして世に出た
商品なのだそうです。当時はレーザーディスクが主で、新曲の対応がとても大変だった
んですね。それが通信カラオケだと手間暇がなく新曲の対応が出来てしまう。今ではDA
MとJOY SOUNDがカラオケ市場を2分しているんだとか。
ちなみに複合機で頑張った情報機器では年間3200億円を、通信カラオケでは500億円
を売り上げているとの事でした。
さて、この通信カラオケですが、実は失敗が産んだ大ヒット商品で、元々は通信式の
ゲームソフト販売機なるモノを25年前に開発したんですね。今で言うダウンロードが出来
るモノです。これは時代を先取りしすぎで、データ通信に莫大な通信料がかかってしま
って大失敗だったそうなのですが、この技術をゲームではなく、音楽を通信する様にした
ものが通信カラオケなんですって。今では携帯向けアプリも育ってアプリだけでも80億
を稼ぐと言うから大したものだと思います。
失敗はいい経験だ。変革の原動力だと笑顔で小池社長さんは語られておりました。
村上龍さんは、小池さんとお話しをして、『ブラザーにはぶっ飛んでいる人が多い』と称
賛されていたのが面白かったです
さて恒例の村上龍さんのショートエッセイです。
ブラザー工業は創業以来100年を迎える。歴史を持つが創業者や歴代経営者の
自伝の類が極端に少ない。おそらく『過去を振り返るよりも新規事業のアイデア
が優先』と言う企業文化が根付いているからだ。『製造ではなく創造』と言う社風
は、ミシン修理の際に部品を独自に作ったと言う創業以来の伝統に由来している。
小池さんは、23年間もアメリカにいて、日本的な序列とは無縁に本社社長に就任
した。ブラザー工業は『空気』など読まない。ひたすらにアイデアを磨き、新規事業
とグローバル化に賭ける。
ブラザー工業ってこんなに面白い会社だったのですね。感心しました。
一方で、『失敗』はいい経験、変革の原動力と言う言葉が胸に突き刺さりました。
日本が苦しんでいる中で、東電然り、官僚然り。無謬性と言うヤツで失敗を失敗と
認めようとしませんわ。言い訳を探して一向に責任を取ろうとしない。これでは変革の
原動力にならないんですよね。福島原発事故で苦しむ民に眼を向けず、初歩的な失敗
が数多く見られるのにその罪も認めようとしない。地震・津波のせいにして想定外で逃
げおおせようと画策ばかりに知恵を巡らせる・・・。それでは『原動力』が産まれない。
危機はチャンスと、チャンスは危機と裏腹の関係にあると言うのはブラザー工業さん
の例を取るまでもなくよくある真理です。この危機はいずれチャンスに切り替わる時が
きっとある、否、そうしなければならない訳です。まずは大局を持って東電幹部や官僚
さん達には『反省』から初めてもらえないだろうか。そうしないと次のステップに進めない。
いくら終息宣言をしても信用されもしない。政治主導と言いながら、そんな事さえ察知で
きない輩に何が出来ると言うのでしょう。党利党略でモノを言うのでなく、東電や官僚に
反省を促すことからはじめて、言い訳に力を廻すのでなく、対処に全力を傾注する様に
してもらえまいか。東電の記者会見のニュースにも辟易します。一度ご免なさいと詫びて
今後は事実の告知だけにすればよい。
第二の敗戦と言われる『東日本大震災』から立ち直るには、そうするより道はないと
思います。いい加減に東電、官僚も抵抗を辞めて前を向いてくれないだろうか。
ブラザー工業の話題からは大きく反れておりますが、とても素晴らしい教科書だと思
いましたのでちょっと苦言を申したいと思いました。
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