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青春18きっぷの旅 特別篇 震災の惨状について・・・ ②

 今は惨憺たる状況になっているとは言え、ここに暮らしがあり、また亡くなられた方もいる

のでカメラで撮影するのが良いのかどうか迷ったのですが、特別篇①でお話ししたおば

あちゃんとのお話しでもとても怖い想いをした。でもこれからもココが好きで住み続けた

いので、代々語り継ぐための写真も保存してあるとお話しされ、(私に見に来てもいいよ、

とお話しされているのかな?と思ったのですが、それはあまりにも申し訳ないので『見せ

て下さい』とは言えませんでした。) 私も被災地の『今』を知りたかったし、不動産業に携

わっている者としてお客さんにいろんな事を伝えたいから来たんだとお話ししたら、ご苦労

さまです、ぜひしっかり見て行っていろんな方にお話しして下さいと言っていただきました。

 哀しい出来事はあったけれど、それを乗り越えて惨劇を無くすためには必要なんだと

被災された方々が思われていると理解して写真を撮って来た次第です。

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 おばあちゃんがお話ししていた神社です。とても小さなお社ですが、海岸にもっとも近

いエリアに建ち、津波と火災でこの辺りはこう言う状況になったとの事でした。まずはこ

の神社に参拝をし、久ノ浜の復興に手を合わせてからつぶさに見て廻りました。

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 手前は防波堤の壁です。防波堤を歩きながら撮りました。鉄筋コンクリート造の建物

で建物は残っていますが窓ガラスは割れ、家の中にも津波は入ったみたいです。3階の

お部屋には額に入った絵がかけてありました。右手の茶色の建物も同様に津波により

家の中はメチャメチャでどなたもお住まいではありません。

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 防波堤から左手の山を撮影しました。元々はこの山はこんな形をしていたのではなく

津波によって削り取られたのだそうです。昔はこの山のてっぺんの広場で盆踊りをして

いたのだと言う事でした。久ノ浜は山と山に挟まれた形の海岸沿いの集落です。山が

津波と闘い住人を守ってくれたと言えるのかも知れません。

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 削られてしまった山の裏手に廻ると小さな漁港がありました。福島県はまだ放射能の

影響で出漁自粛をしているのでしょうか、漁師さんが係留された船の中でお話しをして

おられました。右の写真の煙突は『広野火力発電所』です。原発ではなくて火力だった

ら・・・と思ったのですが・・・。この広野火力の北側に福島第二原子力発電所、その北

に問題の福島第一原子力発電所があります。

 この久ノ浜も30キロ圏にあると特別篇①でご紹介したおばあちゃんは話していました

が、きっと何かの規制が敷かれたエリアなのでしょう。(今は解除になっているので、私

もここを歩けました。誤解のない様にお願いします。)

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 漁港から久ノ浜に戻る道路。この向こうが海です。太平洋は荒々しくて風があったのも

影響しているのでしょう、時々、波がしぶきを上げてこの壁を乗り越えて来ました。

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 その道路から被災した町を再度撮影しました。奥に見える山は削られた山の南側の

山です。これら山と山の間の海岸線の平野部が久ノ浜です。

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 少し海岸から離れたところではこんな状況でした。

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 建物の被害が大とは言え、思い入れのある建物がまだ使えるのでは?と思われての

措置なのでしょう。建物は取り壊さないでと言う掲示がありました。このお近くの建物は

被災して一年になる今もユンボが建物を解体しておりました。

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 久ノ浜商工会の建物。一階部分は水に浸かったのだと思います。一年経った今でも

この状況なのです。ココが再開して町が動き始めないと『復興』はまだまだ先となります。

 軽自動車が停まっていますが、この日も職員さん?が作業はされていました。

 一日も早い復興を。

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 駅の方に戻って来ました。この写真の奥が海です。門だけが残って屋敷は津波の被害

を受け取り壊されてしまったようです。何が言いたいのかと言いますと、数十メートルの距

離とおそらくは数十センチの高低差・・・それが津波の被害を分けるんですね。

 よく私たちも『どの地域が低い』などと言いますが、実際は面です。わずか数十センチ

の高低差でも水の総量は何トンにもなります。その水が動くと破壊力が凄まじいのだと

改めて感じました。

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 再度駅から集落を見たポイントで撮影しました。中央の土が露出した山が津波に削ら

れた山で、この駅の周りの建物はほとんど被害がありません。信号が国道六号なのです

が国道から10m中に入ったところが上の門だけが残っているお宅になります。

 数十センチの高低差と言うのは今まで住人さんは全くと言っていいほど意識をしてい

なかった差でしょう。でも津波は正確にその差を判断して被害を与えた。もちろん同時

に起こった火災により焼失したお宅もあったと思います。被災状況はこの集落の中でも

大きな濃淡をつけたなんとも酷な状況だった。被災された方はもちろん、被災が軽微な方

もいろんな苦しみを背負って暮らされているんですね。ガレキの撤去は終わったものの、

これからの再建築に関しては原発の状況を見てからでないとプランも立たないだろうと

おばあちゃんが話していました。原発の廃炉には数十年の時間を要すると言われていま

すが現在は規制が解かれた久ノ浜地区だからこその重い課題がのしかかっている、そう

感じました。

 あの被災してしまった商工会の建物で、久ノ浜が経済的にも自立して再び輝きを取り

戻せる日が一日も早く訪れる事を祈念した次第です。

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 国道6号の信号脇でこの日オープン?した和菓子屋さんを発見しました。

 次から次に人が入れ替わり出入りするので何かな?と最初は思ったのですが・・・。

菓匠 梅月さん と言うお店が新規オープンしたんですね 

 もちろん私もここのお店でお買い物をさせていただきました。女川のかまぼこ屋さん

高政さんが復興には『外貨の獲得』が大切とお話しされていました。ちょっとだけです

が復興のお手伝いが出来るならこんなに嬉しい事はありません。

 お店に入ると店員さんはてんてこ舞いで、お客さんの注文・・・5個、10個、5個をふたつ

などを聞いてテキパキと対応されておりました。もちろん行列に加わった私もそれに倣い

ました。梅月さんも商品をショーケースに入れるどころではなくて、併設した工場に直接

5個、10個・・・と注文を言い、蒸しあがった?ばかりの熱々のかしわ餅を包装していまし

た。なるほどかしわ餅が有名なお店だったのですね。私はそれさえも知らずに○個と

注文しておりました。常連のお客さんが口ぐちに『良かったね』『おめでとうございます』

と声をかけられておりました。私は外貨を落とすと言うよりも、福を分けて貰う気分で

いいお買い物をしたと得した気分になりました。

 こうした『良かったね』の声が増えて行かないことには町の復興はない訳だし、雇用も

成り立たないと思います。私が行けたのは『久ノ浜』だけですが、それこそ太平洋岸全体

にこのような町がいくつもあるのだと思います。久ノ浜は両端を山が守ってくれています

からまだ被害は軽微だったのかも知れません。

 先日の『家族に乾杯』と言う番組で、鶴瓶さんが陸前高田の市内を車で走り、旧市役

所庁舎を見てひと事も言葉が出なかったと言うのはなるほどなぁと改めて思いました。

 海岸線に山などがなければ、これら写真の光景が延々と続く光景なのだと思うとその

被害状況及び、老若男女が受けた心の傷の大きさは計り知れないものがあります。

 それでも被災された方々には復興の芽が芽生えて来ているんですね。

 笑顔を取り戻して、生きている事に感謝してまた元気を取り戻そうとされています。

 笑顔の裏には深い悲しみもあるのでしょうが、いずれ隠した事を忘れるくらいの幸せ

がかれらにやって来て欲しいと思います。親や親族、また家や財産を失った子供たち

がいろんな番組を見ていると、本当に心の傷を見せないで、町の為に役に立ちたいと

口ぐちにお話ししている姿はそれ自体が希望だし、それを耳にしている大人や老人達

をどれほど元気にしているか分かりません。『全国から集まった物資に感謝している』

『将来はお返しをしたい』と笑う彼らの心の傷をほんの少しだけ感じ取れた様に思いま

す。

 旅のお供に持って行った『見仏記5』の中でいとうせいこう氏が福島県会津を訪れた時

の文がありましたので紹介して結びに変えたいと思います。

 私は会津の人の異常なほどの人懐っこさと死のイメージについて考えこまざるを得な

かった。きっと、もともと明るい人たちなのだ。明るくなくてはやっていけない曇り空の下

で、会津っぽは頑固に陽気に生きてきた。それが幕末、徳川の側について散々な目に

あう。一途に考えを曲げず、きれいに生きようとしたばっかりに、彼らはその後も薩長

中心の政権から遠ざけられ、結果、交通の便の悪さに耐え続けている。この矛盾はな

んだ、切なすぎるじゃないか。私はそう思った。

 今から100年ほど昔、会津はほんとうにひどい目にあった。100年と言う時が心の傷を

忘れさせたのですが、苦しさを誤魔化すための明るさと人懐っこさは脈々と受け継がれ

てきた土地が福島なのだと思います。見仏記そのものは明るい読み物で、旅のお供に

は最適なのですが、それでもこの文を含めた福島県会津の旅のページを閑散とした電

車の中で読んでいる時には涙が出てしまいました。

 いとうせいこう氏の旅は2003年のことらしいのですが、文庫本が出たのは2011年10月。

 文庫本のあとがきにこうあります。

 今回、東日本に大きな地震が起きた。津波が襲い、放射性物質も拡散し続けている。

福島で訪れたお寺は内陸部にあったため、決定的な被害は受けなかったと聞くし、私が

一人で見に行ったさざえ堂や白虎隊の墓なども無事とのことで安心した。

 ただ、我々の今は、東日本大震災以前とははっきり異なる。ずいぶんと遠いところまで

運ばれてしまった。だからこそ、過去のこの見仏記を私は懐かしいと思う。失うべきでな

い人との出会い、つながり、信仰心と習慣などなど。お寺を回ることで、我々は知らぬ間

に文化の基底を探っていたわけだ。

 新しく作られる東日本が、あるいは日本全体が、よいものを残し、再び築き上げ、いら

ないものを上手に捨て去って前へ進むことを心から願いながら、この文庫を世に贈りた

い。

 被災地の皆さん、こんな本ですがよかったら手に取って笑って下さい。もちろん世界中

の、心に被災した方々へも本書は同様に贈られます。    いとうせいこう

 この本を旅のお供に選んで良かったと思いましたし、昨年末に会津、そして今回のい

わき市久ノ浜に来て良かったと思います。出会った方々がお元気で暮らせる事を、そし

て被災地の復興を祈念して結びにさせていただきます。

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