会いたい人がいる!田舎に泊まろう!3・11スペシャル ・・・
『3・11』。東日本大震災から一年が経過しました。
現在の被災地の状況や、自衛隊の皆さんのご苦労を記録した報道番組がたくさん放映
されました。まだまだ復興には時間がかかりますのでいっしょに手を取り合って復興を成し
遂げる為には大切な事なのだと思います。
そんな番組の中で、テレビ東京さんが放映された『会いたい人がいる!田舎に泊まろう!
3・11スペシャル』はとても良かったと思います。
去年の7月に第一弾として『復興の足音』をレポートしたそうで、24年3月11日は第2弾と
の事。萩本欽一さんは気仙沼に、高山厳さんは宮城県大島に、IKKOさんは宮城県遠野
市に、斎藤こず恵さんは宮城県桂島に再訪。
大島の高山厳さんが再訪した大島のご家族は素晴らしかったです。流されたお地蔵様
を彫った大学生君には感動しました。大島から出る事を切望していた青年が大学に進ん
で彫刻の勉強をしている。その青年が地元大島の復興を願い、自らそのお地蔵様を彫
る事になる。震災以後ボランティアで大島の為の活動をしたりする中で、大島の復興を
自ら成し遂げようとしている姿は涙なくしては見られませんでした。なんとも素敵な青年
で、彼自身がお地蔵様の様に見えました ああいう青年が被災地にはたくさんいる
のでしょう。だから被災地は元気になって来ている・・・。
ああ言う青年に復興を託したいので、彼らの気持ちが折れない様にどうやって支援し
て行くのかを我々は考えないとダメなんでしょう。
IKKOさんの遠野市のお婆ちゃんはなんとも素敵なお婆ちゃまだったし、斎藤さんの
桂島も早く退院して釣りが出来るようになれば良いなぁと思いました。
萩本欽一さんの気仙沼はさすがに欽ちゃんだなぁと感心しました。
気仙沼の避難所(気仙沼市民会館)を去年の7月(ロケ日はもっと前なのかも知れません)
に欽ちゃんが訪問。その時も被災者の方々を笑わせよう、元気づけようと振る舞われた
様ですが、地震・津波に耐えたのに避難所暮らしでご主人を亡くしたお婆ちゃん。笑おうと
するのですがどうしても涙が出る・・・。集団生活のご苦労を欽ちゃんは察した。いつか『あ
の時は大変だったね』と笑いあえる同窓会をしようと約束してきた。その『同窓会』の実現
をこの番組でやろうと企画しておられました。偶然?訪問した、とある仮設住宅に、前回
の気仙沼市民会館のメンバーのおひとりが居て、全員集合の連絡をしてくれた。気仙沼
市民会館の入口に『欽ちゃん』が自筆で、同窓会の会場案内を貼り出していました。
仮設住宅から同窓会を期待してやって、みんなが暮らしていた市民会館に来る。そこ
で欽ちゃん手書きのポスターがあると言うのはなんとも粋な計らいだと感じました。
さてさて、集まった皆さん達は、仮設住宅に入居されて、新生活をスタートさせ元気に
なっていました 忙しい中でお魚を調理したおさかなセンター?の『赤シャツ』さんも
グッドジョブ でした。地元の方々にも支えられて番組が出来ると言う意味ではまさ
に『田舎に泊まろう』の面目躍如。いい番組だなぁと思いました。
やむを得ない事なのかも知れませんが、ひとりだけ遠くの仮設に入ったお婆ちゃんは
一日誰とも話しをしない日もある・・・と言い、『私だけ島流しになった・・・』と言うのは可
哀そうでしたね。欽ちゃんも懸命に励ましていました。
萩本欽一さんはプロデューサー能力に長けているのでしょうね。どうしたら元気になっ
て貰えるのか・・・と言う考えや、その後の展開が実に見事でした
やっぱり欽ちゃんは凄い
被災者の皆さんは避難所住まいから、仮設に移ってようやく未来について考えられる
様になった。そして笑顔を取り戻した。。。そう言う事なのでしょう。
だけど仮設はあくまで仮設。ただあれだけ進捗が遅いと仮設から元の地域・地区に
戻ると言うのはとても高いハードルだと思いますし、仮設も復興10年と同水準で考え
なきゃダメなんでしょう。。。
たまたまなのか欽ちゃんの『同窓会メンバー』は皆さんご高齢でした。まずは仮設を
卒業する10年と、それからの数十年の絵は描けないですもんね。
気仙沼に限らず、被災された皆さんに笑顔がいっぱい溢れる日が一日も早くやって
来る事を切に願う・・・そんな番組だと思いました。
2時間の番組で、よくもこれだけ涙が出るなぁ~と思う程に、大量の感涙の涙が溢れ
たです
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