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カンブリア宮殿・・・ホットランド (銀だこ) 社長 佐瀬守男さん

 『築地 銀だこ』さんが本社を石巻に移転すると言う記事を読んだのは随分前の新聞で

した。『へぇ』と言う想いと、売名行為と言う言葉が頭をかすめたまま時間がそれを記憶

の彼方に消し去っておりました。

 そこに今回(24年3月8日)、カンブリア宮殿のゲストとして佐瀬さんが登場。どんな方なの

か若干の胡散臭さを感じながら番組を拝見した次第です。

 まずはホットランドについてちょっと紹介してみましょう。言わずと知れた『築地銀だこ』を

全国に350店出店する企業なのですが、現在12業態を展開中で年間売上は214億円を

計上する会社なのだそうです。

 では、なぜ石巻なのか?

 ホットランドさんの今回の震災の被害はとても軽微で、従業員のお父さんが津波で流

されて、避難所に避難していた程度で済んだ。あれだけの被害が有った中では不幸中の

幸いです。佐瀬さんが避難所の暮らしを尋ねると、食事はビスケットなどの冷たい物ばか

りで、温かい食べ物を食べたいと言うリクエストがあった。それならばたこ焼きの移動実演

車があるので、そのリクエストに応えようと、移動実演車を乗り付けて炊き出しをやった

のがきっかけだそうです。温かいタコヤキを被災者の皆さんに振る舞った所、皆さんが

喜んで拍手喝采をしてくれた。それがとても嬉しかったと。

 そこで、常にお店が出せないかと検討したそうですが、あの津波の惨状ですから物件

もなければ建築資材も無い。とても悔しい思いをした中で工夫したのがトレーラーハウ

スを現地に乗りつけてしまえばいいだろうと言う事になった。建築資材や職人の不足も

関係ないですからね。それも一台では無くて、複数設置して横丁を創ってしまおうと言う

スタイルに進化した・・・。

 被災地の現状からは考えられないスピードで、震災から4カ月後の7月に『ホット横丁

石巻』を創ってしまうんですね。タコヤキやタイ焼き、石巻焼きそばなどのB級グルメを

集めた実演販売の集合体です。そこで100名の雇用を創出したそうです。

 石巻は死者・行方不明者3800人以上、6000人の雇用が震災によって失われたとの

ことですが、去年の7月の石巻はまだ惨憺たる状況だった。働きたくとも仕事なんて無か

ったそうです。その石巻に、この施設で雇用を産み出そうと佐瀬さんは考えたんですね。

 ところが経済環境は予想以上に厳しく、片手間では太刀打ちできる状況では無かった。 

そこで12月にはこのホット横丁の隣の2階建のビル?の2階に本社を移転してしまっ

た。オープン後、赤字を続けるこの横丁のテコ入れと、石巻にしっかりと根を張ってこの

地を支えたいと言う佐瀬さんの想いが選んだ選択技だったのだと思います。

 ちなみにホット横丁は3000万円の費用をかけてリニューアルし、仮設住宅への移動販

売や地域の商業施設にサテライト店舗を設けるなどの工夫をされているそうです。目下

月商4000万円を目指して努力されているとの事でした。クレープや夜の売上増を狙って

焼き鳥屋なども新規にオープンさせたそうです。

 村上龍さんが佐瀬さんに言いました。

 『雇用ってとても大切で、あの状況の石巻に100人の雇用を産み出したのは凄いことだ

と思います。でもホット横丁は慈善事業では無くてビジネスですもんね・・・』

 佐瀬さん

 『仮設住宅を訪問すると、いろんな住人さんの困りごとを耳にします。そこにビジネス

チャンスの種があって、例えば移動販売を始めたりしたんです・・・』 。。。

 佐瀬さんは群馬県桐生市の出身で実家は鉄工所を経営されていたそうです。25歳の

時に『焼きそば屋さん』を始めます。最初の頃はとても売れたのですが、その内徐々に

売れなくなった。焼き方に問題があるのかと思い、社長自ら、朝に焼きそばを焼いてホ

ットスタンドに作り置きしたのですが、結果はそれが更なる質の低下を招いて気がつくと

借金は1億円。1年かけて大阪を中心にタコヤキを食べ歩いて研究を重ね、『これなら

行けると言う味を完成』、新規出店の交渉を重ねる訳です。ところがタコヤキの認識が

関東では弱くてタコヤキ1本での出店は無理と断られ続けたそうです。40社、3年間、断

られ続け、ようよう1週間だけ様子を見ましょうかと言うスーパーが現れて、ここぞとばか

りに実演販売をしたところ、行列が出来る大盛況。ここから銀だこはスタートしたそうです。

この時、佐瀬さんは『タコヤキのマクドナルドになろう』と決意されたと言う事でした。

 銀だこの美味しさの秘密は①大きなタコと独特の茹で方。真だこだけを使用して、ミデ

ィアムレアの茹で上げることでたこ焼きにじゅわっと美味しさが沁み出すそうです。②外パ

リ、中トロ。これは皆さんが実演で見る仕上げの油ですね。あれで揚げる感覚になる事で

外パリが出来るそうです。③特注南部鉄器の焼き台。加熱するとなかなか冷めない事で

具材を入れても温度が下がらず、また油を入れた際にも細かなデコボコがより外カリを

作る効果があるそうです。

 佐瀬さんの想いは『社会に必要とされているから商売が出来る。』

 社会貢献が大切だと常に社員さんにお話しされているそうで、石巻に本社を移すきっ

かけになったタコヤキの移動実演車もそもそもは病院や養護施設をまわって無料でたこ

焼きを配る活動をしていた車輛でした。その車が有ったから早い段階で被災地に入れた

訳ですね。銀だこの幹部社員さん達も元々はアルバイトから始まってたこ焼きが好きに

なって社員になってくれた人達で、エリートはひとりもいない『雑草集団』だと佐瀬社長は

話していました。従業員さんがたこ焼きに誇りを持って活動する為にはキチンとした身な

りと行動が不可欠であり、踏まれても踏まれてもなおも生えてくる雑草の生命力がある

んですとキラキラした眼で村上さんに説明していました。

 雑草はサバイバルするし、チームワークもあるんですよねと村上龍さんも応えていまし

た。

 ホット横丁の中に仙台中を廻って見つけたお店と共同開発した『味噌屋敷』と言う新ブラ

ンドを立ちあげた所、それがヒットして、現在戸越銀座で『仙台味噌ラーメン、味噌屋敷』

を出店、盛業中だそうです。佐瀬さんは被災地石巻は商圏も狭いし、年齢層は広く、また

価格などに関してもとてもシビアな所です。だからこそ価値を高めないとすぐに飽きられて

しまいます。パイが小さいので飽きられたら終わりです。これは25歳当時の焼きそば屋さ

んの経験が活きているのでしょうね。

 石巻漁港はたこの産地でもあるので、地元のタコを使って商売が出来ないかと模索し

石巻が持っている水産加工技術を活かそうとしているそうです。タコの養殖が出来ない

か?と雄勝湾の漁協でお話しをしているシーンが放映され、雄勝湾の名産のホタテへの

影響が心配だ、ホタテを食材として使って貰えないか?たこ焼きならぬホタテ焼きなんか

どうだ?と逆提案・・・。それも面白いですね・・・と身を乗り出す佐瀬さんの姿に雑草魂

と言いますか、縁あって根付いた石巻とともに発展したいんだ、本当の意味で石巻を

復興させるんだと言う思いが現れているのでは・・・と感じたのでした。

 村上さんは『横丁』って今も必要なんですよ。地方にこそ『横丁』が必要とされている

のだと思います。一緒に過ごす幸福感って大切で、『みんなと一緒にいる』ことに加えて

さらにそれが『美味しい』と言うのはとてもハッピーな事なんですよと『共食(きょうしょく)』

と言う概念を提案されておりました。

 恒例の村上龍さんのショートエッセイです。

 実は、スタジオで何かを食べることが好きではない。食べるという行為をテレビ

カメラに晒すのは恥ずかしい。だが、成功企業の経営者がゲストなので、彼らが

作り出す食べ物は、私の気分と矛盾して、とてもおいしい。

 佐瀬さん率いるホットランドのたこ焼きは圧倒的だった。収録中という事を忘れ

ほどおいしかった。しばらく頭が真っ白になり、会話も上の空だった。

 佐瀬さんは、被災地の石巻で、雇用を創出している。ただし慈善事業をやって

いるわけではない。ビジネスを通じて、被災地とともにサバイバルしようとしてい

るのだ。共生と言う言葉は彼のためにある。

 冒頭、売名行為と思っていた自分が恥ずかしくなりました。新聞記事では伝わらない

石巻での活動。従業員さんのお父さんの被災から現地の事情を知り、それなら温かい

物を食べていただける道具があるのだからと現地で炊き出しをするフットワークの軽さ。

そこから更に入って来る情報をフィードバッグしてどんどんと施策に取り入れて行くこれ

また身の軽さ。『スピードが大切』と言うのは『雑草』だからこそのことであり、村上龍さん

もそれがホットランドさんの素晴らしさでありアイデアの塊に脱帽すると言わしめる由縁

なのだと思います。佐瀬さんが直面した石巻の実情と、石巻をなんとかしたいと言う思い

があって、『ホット横丁』ができ、ついには石巻に本社を移転する事になった。

 被災地とともにサバイバルしようとしているのも、望んでそうなったのではなくて、

無我夢中でなんとかしなければ・・・と言う思いがあり、結果としてそうなったのだと思い

ます。それほど強い地縁があった訳ではないのですから。。。

ただ『共生』を私は勝利の女神は好むだろうと思います。決して慈善事業をしているので

はなく、ビジネスとして成立させるのだと言いながら、苦戦を続ける『ホット横丁』。

 先日の『ガイアの夜明け』でかまぼこの『高政(たかまさ)』さんが外貨を稼がねば・・・と

言っていた通り、被災地の皆さんの雇用もおぼつかない状況ではマーケットに還流する

お金の総量が限定的な訳で、それを基盤に商売をするのは容易ではないはずなのです。

ただそれを肯定すると町が更に疲弊する。高政さんはそれを『外貨』に求め、再投資と雇

用によって防ごうとされ、ホットランドさんはB級グルメの楽しさの中に、被災者さんの日常

に潤いを提供しつつ、『外貨』獲得の為のツールもそこから掘り起こそうと努力している。

方法に違いはあれど、『被災地域をなんとかしたい』と言う共通の想いがそこにはありま

す。こういう企業が2社、3社と増えて行くことが被災地を蘇らせる真の復興なんだと思い

ます。

 津波でさらわれた被災地は、1年かけてようようガレキが撤去され、ポツポツと廃墟が

残って大半は更地の状況になっています。そこには雑草がただ生えるだけ。塩害があ

って決して生育には適した土地ではないのでしょうけれど、いろんな種類の雑草がコミ

ニケイトしあいながら、緑を形成し始めています。雑草の生命力、サバイバル力は偉大

なんですね 

 見方を変えると、ホットランドさんや高政さん達の行動が、砂漠の中のオアシスになり

人が途絶えるのを今は防いでいるのでしょう。砂漠と言うのは自然を飲みこむ力が強く

どんどん砂漠が大きくなっていると言うニュースを聞いたことがありますが、まさに被災

地もそんな状況にあるのではないでしょうか。自然の災害に原発と言う人災まで加わっ

て被災地が荒廃しようとする力はとても大きなものだと思います。それに屈服することな

く、大きな力に挑もうとする事は半端な事ではないと思います。

 『慈善事業ではなく、ビジネスだ』と語る佐瀬さんの決意は立派だと思いますし、この

ハードルを越えたホットランドには素晴らしい未来が約束されていると思います。

 変革できない『日本』とは無縁の、常に厳しい環境に身を置こうとする『雑草魂』が、

ホットランドさんの底力だと思います。

 きっと勝利の女神は微笑むでしょう  ガンバレ  ホットランド  

 頑張れ・・・石巻 

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