ガイアの夜明け 復興への道 高政さんの事を中心に
24年3月6日放送のガイアの夜明け『復興への道』。
これまでの放送を踏まえて、それぞれの被災された方々の頑張りの途中経過を報告して
くれた番組です。
震災直後、避難所の方々にかまぼこ(さつま揚げ?)を届けた高政(たかまさ)さんのその後
のレポートは嬉しかったです。
女川でかまぼこ工場を営んでいた高政さん。
http://riverstar.cocolog-nifty.com/blog/2011/04/post-089e.html ☜過去の記事
津波の被害の後、ガレキが撤去された女川の町は本当に更地の状態でした。
ところどころにある鉄骨造の建物の残骸・・・。アスファルトの道路には細かい泥が
積もっている様に見えました。
高政さんは新工場を創って設備も新規導入。生産量はこれまでの4倍の生産が出来
る素晴らしい工場でした また工場内を『見せる』通路を設け、かつ直売できる店舗
も併設。出来たての商品を陳列するスペースがあるのはもちろんの事ですが、ゆったり
とお買い物ができる充分な店舗の広さとせっかく来ていただいたお客様にくつろいでい
ただけるベンチ等もありました。
『雇用を守る』ことに努力しておられる企業さんだからこそ、建物の残骸と何もなくなっ
た町に新しく出来た新工場は地元の方々に『元気を与える』活力源になるのでは?と
思います。
工場のオープンセレモニーには地元の方々が集まっておりましたが、地元の方も被
災されており仮設住宅にお住まいなのかも知れません。『良かったですね』『嬉しい』と
言う声があるもののやはり数は少ないと思いました。
店長さんが真剣な顔で『設備や従業員数は過剰なんだ』とお話しされておりました。
実際、直近の決算書には2億円を越えるマイナスが・・・。この数字も放送するのは
高政さんの勇気の現れですね。
店長さんがなおも言います。『外貨を稼がなくては・・・。』 外貨とは被災した女川の
方を相手の商売では復興出来るだけのお金は稼げない。遠くから人を呼び込んで品
物を買ってもらい、そこで得たお金でもって地域に再投資していくこと・・・。
番組ではJTBさんがツアー企画として、観光バスで工場兼見学をしたいとの企画書の
提案を受け、高政さんも願ったり叶ったりのお申し出とそれを快諾するシーンがあり、
テレビカメラが観光バスに乗り込んでバスの車内を撮っていました。
バスガイドさんのご案内は『あの茶色の建物は元○○センターです・・・』と建物の残骸
をガイドされておりました。窓からの光景は廃墟と更地の町。
その姿を眼にして涙する女性の姿。
高政さんの工場に着きますと、工場長さん自らが工場見学のご説明をされていました。
見学が終わって直売所では押すな押すなの混雑です。駐車場には何台もの観光バス
が停まり、震災後最高の売上を記録したと嬉しい報告がありました
この新工場のお話しで付け加えますと、旧工場は、地元被災企業4社さんに無料で貸
し出されているそうです。また店舗部分にも地元企業さんの商品も陳列しておられました。
被災した地域を、そして雇用を自ら大きな赤字を出してでも女川の未来を信じて盛りたて
て行く努力をされている社長さんはなんとも立派な方だと思います
きっとそれに励まされている人は直接、間接合わせると凄い数になると思います。
JR石巻線も来年には浦宿までは再開予定。女川はまだ被害が大きくて現時点では
再開のメドが立たないそうですが、徐々にではあるにせよ、人の流れが出来るとあれ
だけ頑張っている女川ですからきっと復興もすると思います。
現在はバスや自動車でしか現地に入る術がないと言う事なれば、ツアーの利用もいい
のでは・・・と思います。
先の観光バスのご一行も、『私が出来る支援です』と商品でいっぱいになったカゴを
高々と掲げておられました。
たくさんのお買い物をしてくれたお客さんを乗せたバスを見送る高政さんの従業員さ
んの姿も素敵でした
高台から女川の町を眺める社長さん。
『何もなくなったからこそ、これから新しい町が出来る。女川には未来がある』とお話し
されておりました。
大熊町でコンビニを営んでおられたご家族のこれまで、そして今、また浪江町のマツバ
ヤさんの被災後、そして新たに店舗を出店するに至った姿の報告も、同番組で放映され
ておられました。こちらは津波の被害もさることながら、原発の影響で住む事そのものが
制限された町での『商売』の苦悩。避難されている方々も戻りたいと涙されていましたが
人口が減った町でどうやって商売をして行くのか・・・。なかなか難しい問題です。
それぞれがこの現状を踏まえて新たな将来設計を描き、努力している姿が放映されまし
た。大熊町の中学生の女の子が新たな将来設計の為の引越をお父さんに告げられた時
家族の事を思うと泣いたらアカンと思う心と、それでもなお溢れてくる涙に耐えようとしてい
る姿がなんとも哀しかったです。
番組のラストで、いわき市で新生活をスタートさせ、友達も出来たと喜ぶその女の子の
姿が映り、番組のMCの江口洋介さんがいわき市のご自宅に訪問、ご家族にインタビュ
ーされておられたのは素敵でした。江口さん、グッドジョブ
いろんないろんなご苦労がこれからもなお有ると思いますが、それぞれが頑張られる
ことで町は立ち直っていくのだと思います。被災地を観光するのはどうかと言う気持ちも
ありますが、幸い被災していない私も日々の暮らしの中で被災地への想いが薄れる事
もある。やっぱり現地の姿を眼に焼きつけて、これから一緒に復興して行く気持ちを持ち
続ける事は大切なのではないかと思います。
阪神大震災で私の実家も被災しました。私は東京勤務だったので被災はしませんでし
たが、新幹線が復旧した後、復旧優先とは言え、神戸の町、そして大阪の町を見に来て
おけと父親から言われ、震災後3カ月経って神戸に行きました。倒壊した家がまだその
ままあって倒壊した家の埃の臭いが今も記憶に焼きついています。
今は震災が無かったかの様に復興した神戸の町を見ると嬉しく思います。
岩手、宮城、福島の町の復興もぜひ見届けたいと思います。今回の震災では原発が
復興の邪魔をしているのですが、それとて越えられない訳はない。復興の向こうにはそ
れこそたくさんの汗と涙があるんです。それに思いを馳せながら、出来る範囲内で自分
も復興に手を差し伸べたいと思います。私が生きているこの時間で東日本大震災が発
生したのも巡り合わせ。いろんな方法があると思うので工夫しながら応援出来る術を探
したいと思います。
『復興』はとても大きなパワーのいる一大事業。被害の程度が大きく、放射線が足を
引っ張る難事業です。被災者さんがこれだけ努力してもなお苦戦しています。ただきっ
と負けないと思うんです。時間はかかるだろうけれど必ず町は復興する。東北は再び
活気ある町に生まれ変わると。莫大な汗と涙とお金が入って何年にも渡って築き上げ
る『復興の喜び』を味わう時がきっと来ると思います。私は出来れば東北の方々と一緒
に喜びを分かち合いたい その為には阿波踊りじゃないですが、『見る側』ではなく
『踊る側』でいた方が、何倍もの喜びを分かち合えるというものです
仕事は押しつけ合うモノではなくて取り合うモノ。自分に何が出来るのかをこの眼で確
かめ、考えたいとも思います。
今回のガイアの夜明けは、『喜び』のお裾分けをちょっとだけですがしましょうね・・・と
言う番組だと感じました。
追伸
高政さんの新工場に集まっていた観光バスは泥まみれでした。きっと廃墟と更地にな
った地面から泥や砂が舞い上がっているのでしょう。震災後の神戸の町の埃の臭いと
通じる何かを画面から感じました。家が建ち、道路や土地が舗装されて行くと減るので
しょうね。あの泥が早くなくなる事を切に祈る次第です。
| 固定リンク
コメント