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プロとアマ・・・ (枝雀さんのお話し)

 桂枝雀師匠が亡くなられて随分時が経ちました。

 上方落語の爆笑王。私は枝雀師匠は名人だと思います。

 実際、枝雀師匠は視聴率が取れる落語家さんだったのでしょう、『枝雀寄席』と言う番組

がずっとありましたし、色んな番組で落語を演じてこられましたので映像もいっぱい残って

います。そして映像があると言うのは素晴らしい事で、大なり小なり、今の落語家さんにも

影響を与えています。

 ところが・・・です。

 米朝師匠が若手の方々に、『枝雀さんの落語を真似たらアカン』とお話しされているの

だそうです。『あれは枝雀だから出来た落語で、若手が真似ていい落語ではない』と。

 先日、大学生の落研の落語を聴く機会がありました。オーバージェスチャーで、かなり

な枝雀落語の影響を受けている風です。ギャグも目一杯盛り込んでおられます。

 演者は楽しいかも知れませんが、どうしても観客がおいてけぼりになってしまうんです

よね・・・  ちょっとした嘘が見えてしまうと、落語ワールドにトリップ出来ないんですよ。

 小三治師匠は枝雀さんと想いが通じていた噺家さんだった様ですが、お弟子さんには

『落語は小さく、小さく・・・』と話されているそうです。落語と言うモノは先人が積み重ねて

来た芸であり、『噺』自体が面白い。だから演者を前面に出さずに噺を前面に出しなさい

と。それ故に『落語は小さく・・・』とお話しされているんです。

 米朝師匠の『枝雀を真似るな』とお弟子さんたちに言うのもそこなのだと思います。

 落語は演者が、『落語ワールド』と言う名の遊園地でジェットコースターに乗せる

みたいなモノ。最後のオチがジェットコースターのゴールでその後のチェーンにハマって

ガタガタガタと言いながらホームに戻る所が、『追い出し太鼓』のドコドコドコ・・・。

 楽しいジェットコースターかどうかと言うのが演者の技量ですね。

 談志師匠は落語は『イリュージョン』と良く言われていましたが、まさに落語は『空想』の

世界が故に、演者が巧ければ映画以上に何でもありの世界を見せる事が出来る芸なの

です。

 さて、枝雀さんの落語です。

 枝雀さんが小米さんと呼ばれていた時代は噛む事もなければ、物凄くキッチリした落

語を演じられていたそうです。声も小米さん時代はもっと低い声でした。

 『完璧な落語』を突き抜けて『枝雀落語』が完成してしまったんですね。抜群のデッサン

力を持つピカソがキュービズムに至った様なものと言えば分かり易いんじゃないでしょう

か。

 訳も分からずにキュービズムを真似てもダメなんです。

 まずはデッサン力を身につける事。

 憧れを持つのは勝手ですが、突き抜けた先のモノを真似ると、モノになる才能も、モノ

にならなくなってしまう・・・。

 米朝師匠は、枝雀さんを否定するのではなく、肯定するからこそ、お弟子さんたちには

枝雀さんを真似るなとおっしゃっているのではないでしょうか。

 オバージェスチャーの落語家さんは随分と増えていますが、オパージェスチャーをすれ

ばする程、お客さんは『不自然さ』を感じてしまい落語ワールドに行けなくなってしまうの

です。

 私は時々、東西の噺家さんの独演会に行きますが、お弟子さんが前座として15分位

落語をします。その後に出られる師匠のお話しの邪魔にならぬ様に、徹底的に削ぎ落し

た落語を演じます。笑いがある場合もあればない場合もありますよ。でもケレンで笑わ

そうとはしないんですよね。ここがプロとアマの違いなのかな。

 『笑い』について徹底して追い求めて行かなければならないのがプロの世界で、上手な

方が必ずしも人気がある訳ではないのも『芸』の世界。

 『華がある』とか『フラがある』と言うのは、ケレンではなくて、その方自身が持つオーラ

の場合もあるでしょうが、天然では無く、養殖物で培って行くべきものなんでしょう。少なく

とも枝雀師匠の場合はそうでした。

 莫大なお稽古と、徹底したリアリティーを求めた落語。ざこばさんが思い出として話して

いますが、『青菜』のお稽古では、庭の大きさからどんな木が植わっていて、木の大きさ

はどれ位・・・と話していたそうです。ざこばさんはそんな細かい事はどうでもいいと話して

居ましたが、その徹底したリアリティーを求めたからこそ、突き抜けたんだと思うんです

ね。嘘が感じられないからオーバーアクションのジェットコースターでも充分に楽しめる。

 富士急のドドンパや風神・雷神みたいな絶叫コースターに成り得るんです。

 オーバーが良い訳ではなく、オーバーは笑いの素でもないんですよね。オーバーはた

だ演者が気持ちいいだけ・・・。

 枝雀さんの映像を見ながら、つくづくそう思います。

 何気なく落語をされている様に見えますが、物凄くご苦労された結果なんですね。

 枝雀さんが目指す究極は、舞台に上がっても何を話す訳でもなく、演者と観客がイケ

イケになって同じ時を過ごし、アハアハと笑いあって舞台から降りてくる様な噺家になりた

いとよくお話しされていました。フツーの噺家さんが目指している所と次元が違うんです。

 一足飛びにそこを目指したら噺家さんが壊れます。

 それを米朝師匠は察しているのでしょうね。言葉は違えども、小三治師匠も同じことを

感じている。

 落研の方の落語を見て、プロとアマの違いを大きく感じましたので落語論を書いてみま

した。

 枝雀さんはいらちなので、寿命を待つことなく逝ってしまわれました。その辺の事をもう

少し整理してから逝かれたら落語はもっと発展したのになぁ・・・。

 (追伸)

 案外枝雀一門が一番、ご苦労されている様な気がします。お弟子さんたちの落語に

触れますと、どうしても枝雀さんが後ろに居て、アハハと笑っておられる気がするんです。

それがちょっと切なくもあり、落語ワールドに行き難くしてしまっているのでは・・・と思いま

す。

 枝雀さんが大好き故に、ぜひとも枝雀さんと言う高いハードルを越えた噺家さんになって

欲しいと思います。

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