八重の桜(26)「八重、決戦のとき」・・・
見ていられないけれど、見なければ・・・。
会津戦争、鶴ケ城が猛攻を受けました。
家老の西郷頼母さんの家は、男の子のみ城に出して、女性陣は自刃。
絶命出来ず、意識朦朧となった娘さんが、屋敷に入って来た新政府軍に敵か味方かと
尋ね、介添えをされたシーンが今日ありました。。。
悲しいですね。
何も悪い事はしていないのに・・・と言うセリフが聴いていて辛かった。
家老達は今頃になって切腹していましたが、京都守護職を受諾した時に、腹を切って
お止めしていたら・・・と言うのは全くその通り。
するべきをせず、時流に身を任せたが為に破滅への道をひた走ったと言う事です。
会津の為に戦って死ぬのは誉れだと言ってましたが、会津の為にこそすべき事があった
はず・・・。
未来から過去を見るのは答えの分かった数学の問題を解くが如きこと。
たられば・・・を言うは易しいと、家老さん達から笑われそうだけれど、この一戦以後、
100年に渡る苦難を背負いこむことになる。
辛い・・・。
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