お遍路・・・
昨日の『お遍路』について今少し・・・。
日本の仏教の一般人のとの関わりは、大半葬式と墓参りになってしまっておりますが、
弘法大師が四国を修行の場として開いた時には、決して葬式仏教では無かったんです
ね。
先日高野山に行った時に、西洋人の方々が禅ブームの影響からか、高野山の宿坊に
寝泊りし、高野山を廻るにもバスを使わずに徒歩で歩いている方を大勢見ました。
宗教観の違いから、宗教との接し方が全然違うんですね。
西洋の方々の方がディープに接しておられます。
私なんぞは、南海電車とケーブル、バスでちゃちゃっと廻っただけですが、宿坊で寝泊ま
りして、少しでも真言宗、高野山、また弘法大師さんに触れて来て、何かしらの悟りを・・・
と言う覚悟で高野山に行くべきだったなぁ~と。
観光ではなく、宗教施設に行くんだもの。
そう言えば私は仏像好きですが、仏像は美術館や博物館に見学に行きますが、仏像に
お祈りをすると言う気持ちは薄いですね。
大仏も見て驚くだけでお祈りする人は少ないです。
この辺も葬式仏教にどっぷり浸かっているからこそのタマモノなんでしょうか。
悟りなどは無理でも、より良く生きるために修行の場に行く・・・。
この気持ちが大切なんでしょうね
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