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ブラタモリ・・・奄美大島

大島紬の『大島』って奄美大島だったのね?と言うところから興味津津で眺めていま

した。

土地が豊かではないからさとうきびを栽培していたこと、それが『地獄』と称される程

に厳しい圧政だったこと(島津藩)等々、勉強になりました。

ただ紬の原料の絹糸を染める方法。

あれは誰がどうやって発明したんでしょう。

石がない中で耕作面積を増やすために、蘇鉄を植えて作った段々畑。

食べるものがないから、毒のある蘇鉄の実を細かく刻んで水にさらし、でんぷんにし

て蘇鉄のおかゆとして食糧難を乗り越えたと言ってましたが、これまた誰が・・・?

『それしか』なかった訳なんだろうけれど、こうしたら食べることが出来るぞ  って

判るまでは命がけですもんね 

もっともそうして食べられるようになった蘇鉄のおかゆだって、タモリさんも近江さんも

『味がない』ってあまり美味しそうに食べておられなかったけれど。

(その一方で、さとうきびから作った黒糖の美味しそうなことったら・・・)

そんなことを言い出したら、小麦をパンや麺類として食べることだって、お米を炊飯器

で炊くことだって凄い事なんだとは思うけれど・・・。

痩せた土地で暮らす苦労、その中で大島紬なんて飛び道具を発明した奄美の方々。

『凄い』としか言えません。

今回のブラタモリは・・・ムムムだったなぁ。

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