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久しぶりに『歴史』のお話し

歴史が好きでいろいろ本を読んだりしつつ、思いを馳せて妄想するのが好きでしてね。

邪馬台国はどこにあったのか?と言う人気のあるテーマにも私なりの答えは出しています。

私自身の説は・・・九州は、八女のあたりだと思っています。

魏のオッサンが邪馬台国に来て、ここはなんと言う国か?と尋ねたました。

福岡のオッサンは答えます。『やめタイ』。博多弁を聞いてしまったから『八女』と書くとこ

ろを『八女たい』と聞いて、字をあててしまったから『邪馬台国』になった説。

もちろん学説では全く取り上げられていませんで、どうやら伊都国周辺で、それが奈良に引越し

したんちゃうかと言うのがイイ線らしいですわ。

これは前置きですよ。邪馬台国の話しじゃないんです。

本能寺の変のお話し。

なぜ光秀は信長さんを攻めたのか。

光秀さんがいじめられていたと言う江戸のお話しはどうやら嘘で、光秀さん自身がトップに立とう

として説から黒幕が誰だったかと言うお話しまで所説あります。

光秀さんはもうおじいちゃんですから、ご自身が・・・と言うのは無かったんだろうと思います。

几帳面な忠臣でしたからね。だから黒幕が居て、それがだれか?と言う話しになり、秀吉さんや家康

さん、公家・皇室、イエズス会と所説あるけど、どれもイマイチピンと来ない。

光秀さんは聡明ですしね。黒幕に唆されるような人でもないと思うんですよ。四国の長宗我部さんの

取扱いは確かに困っていたとは思うんですけど。

光秀さんのお子さんは細川ガラシャさんでしょ。キリスト教の殉教者です。私は光秀さんもキリスト

教が好きで、その教えに惹かれていたんじゃなかろうかと思うんですわ。当時流行っていた茶道の軸

は平等で多分にキリスト教的世界観を取り込んで形作られたものですし。茶道からキリスト教的な心

が芽生え、その信心に突き動かされて信長さんをやっつけてしまったんちゃうのかなと思うんですよ。

利休さんが作り上げていく茶道の体系を光秀さんはよう判っていて、その実現のために信長さんを討っ

てしまったんじゃないのかなぁと。

光秀さんの性格や知識、世界観からするとこれが一番腑に落ちるんです。

自分の天下にしたい訳でも、騙されたり唆された訳でもない。キリスト教と言うと語弊があるから茶道

のために死んだのではないかと・・・。

茶道とキリスト教は大いに関係があると、当代の千さんがお話しされている動画を見ました。

バチカンにもその記述はあるのだけれど公開はされていない・・・とも話されていました。

でもイエズス会が黒幕ではないとは思うんですよ。光秀さんはあほじゃないから騙されたりはしないはず。

公家や天皇さんにも靡かないと思うんだ。もっと内なるモノに突き上げられて、自身で周到に行動した。

光秀さんはなかなかの人物で、光秀さんが治めていた福知山でも評判がいいし、京都市内の祠に光秀さん

の像が黒く塗られてずっと残って大切に守り続けられているんですよ。光秀さんの像だと判ると壊されち

ゃうから民衆が黒く塗って秀吉さんから守ったんです。

民が像を守りたくなる人物だったんですよ。アホじゃないって。民は本能寺後も尊敬したんですって。

なぜか?茶の湯を守ったから・・・。

これが一番腑に落ちるんだけどなぁ~。

まぁ、邪馬台国は八女たいと言う歴史好き妄想家の発言ですのでねぇ~。

あっ、そうそう。

光秀さんのお嬢さんのガラシヤさん。

絶世の美女だったと言われておりますが、キリスト教会が殉教者を盛るために美女に仕立てたと言う説が

あるそうです。当時の資料には美人だったとは書かれていないと。

えらいことしようるんですよ。キリスト教会はね~。

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