昨日に続き歴史もの
仁徳天皇陵と言われていた大阪の大きな古墳なんですが、今は大仙陵古墳と呼び方が変えられておりまして、
どうやら埋葬されている方が仁徳天皇じゃないんと違うの?と言うお話しがあり、違う方だったらまずいなと
言う事で、大仙陵古墳と呼び方を変えたのだとか。
めちゃくちゃ大きいお墓だから、作るのに時間もかかったんでしょうけれど、近所にお住いの方々はきっと
手伝いにも行っただろうし、あの古墳は誰のお墓やと言う言い伝えが正しいと思うんやけど。
宮内庁は仁徳天皇陵やと言うてはるところから見てもきっと正しいでしょ。
古事記に書いてないかと思って調べたら古事記は700年代に、仁徳天皇陵は500年代に作られているそうです。
たった200年・・・やけど、200年前の出来事って、微妙やなぁ~。
でもあんな巨大なもんやから、地元の方々も、仁徳天皇陵の前で待ち合わせナとか、言うてたと思うよ。
お墓と言う特殊性もあって間違ってたら失礼だし、町人AさんとBさんが別々のお墓をイメージしたら永遠に
待ち合わせが成就せんことにもなってしまう・・・。
大阪人もそんなにアホと違うわなぁ~。
天皇陵は研究の為とか言っても、試掘出来ないから、これからも永遠に判らないままなんだろうけれど、誰や
ねん、仁徳天皇と違うんちゃうかと言った人は。本ばっかり読んでないで、現地のオッサン、オバハン3人く
らいに聞けば判ったやろと思うで。あのこんもりした山は何ですか?と聞けば、3人ともアンタ、あれ知らん
の?仁徳天皇陵やがなと答えたと思うけど。誰のお墓議論が出たのは昭和54年と言うから呆れるわな。
コロンブスがアメリカをインドと間違ったのと変わらんで。原住の方が居たんだから、発見もくそもない。
果たして1500年間、代々大阪の地元のオッサン、オバハンが、受け継いできた『あれは仁徳天皇陵』が間違っ
てるか否か。なんぼなんでも間違わんで。天皇のお墓やで。違う天皇のお墓と間違う訳がないですわ。
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