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名君のゆかりの地

会津に旅行に行った時に、名君・保科正之公のお名前を知り、保科さんみたいな偉人こそ歴史で教えたり

大河で主人公になればいいのに・・・と思ったもんですよ。

徳川秀忠さんの子で家光さんの異母兄弟。秀忠さんの奥さんが焼きもち焼きだから判らない様に他家に預け

て育ててもらった。その子が将来、家光さんを支えた保科正之さんなんですよ~とものの本で読みました。

領地経営が上手で民からも慕われ、人も育てた。幕末、会津藩・松平容保さんが京都守護職に就いたのも

それだけ会津が進んでいて、また人材がいたからですわ。

その土台を作ったのが保科正之さんで、徳川幕府に忠節を・・・との家訓を容保さんは忠実に守った。

明治新政府が会津をひどい目にあわせたのもそれだけ力があったからなんですわ。

哀しいかな、高校時代の歴史は世界史を取ったので、ばら戦争とか受験以後あまり役に立たない知識を覚え

た私ですけど、会津に旅行に行った際に、名君・保科正之さんのことを知りました。震災以後の話しです。

なんか浅い日本史の豆知識をつらつらと書いてるなぁ~と思っているアナタ。

ここまでは前振り、つまりはマクラです。

日本史上の好きな偉人として保科正之さんがランクインしたところにご縁と言うのは味な物。

なんと仕事で縁があった不動産の前にお寺がありましたので、何事も信心からだわとご挨拶に参りました。

手を合わせに行きましたらそのお寺さんが『清泰寺』さんと言う天台宗のお寺であること。そして馬頭観音

さんと言う秘仏が祀られており、12年に1度、御開帳されると言うことなどを看板で読みました。

そして見性院さんと言う方のお墓があるとも書かれていました。なんとか院と言うから尼さんとかお坊さんの

お墓かなと思ったら、その方は武田家家臣の穴山梅雪さんの奥さんで、梅雪さん死後は徳川家康さんが庇護し

ており、さいたま市緑区にある地名・大間木地区を地領に与えたんだそうな。

お~、ちょっとイイ感じのプチ有名人やんと私のミーハー心に刺激を与えてくれた看板を読み続けますと、

秀忠さんのお妾さんが子を宿した。おめでたいお話しなんだけれど、秀忠さんの奥さんが焼きもち焼きなんで

その事実を知るとお妾さんの命、またお腹の子の命が危ないと言う事で、生まれた子をすぐに見性院さんに預け

て、養育をお願いしたんですって。それゆえに、さいたま市緑区大間木の地で松丸君は若年期を育ったんですな。

もう疲れて来たので書いちゃいますけど、その松丸君こそ、のちの保科正之さんなんですよ。

見性院さんもきっと偉かったんやろね。家康さんが面倒みまっさと言うほどの方ですから。

大間木のどこに住んでたか知りませんけど、お墓は清泰寺さんにあるんです。

墓所と方向を示す看板があったんですけど、お寺さんのお墓、お墓したところに入ってくのは罰当たりな気がし

たもので、保科さんに手を合わせるつもりでお寺さんの写真だけ撮りました。

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丸っこい木の下に墓所はこっちと書いておりましょう。この木の左の通路を通ると行けるんだと思うんですよ。

今度は手ぶらじゃなくて、お線香とかお花を持って行けばいいのかなぁ?

自分の親の墓にも・・・あっ、両親ともに健在でした・・・祖父母、ご先祖さまにもそうそう挨拶に行かんのに

他所のおばさんの墓に行ったら、身内のご先祖さんが怒るのかなぁ~?

日本の歴史から随分と脇道にそれました。

身内の問題はこちらで片付けます・・・。

見性院さんのお墓参りをしても写真はNGかも知れませんな。

※史跡の看板やら歴史の本やらを読んで私の脳にコピーして、またこのブログに書くときに大阪弁モードが入る

でしょ。その辺りの事情で若干の錯誤が出てしまっているかも知れませんが、そんなことで怒らないで下さいね。

ご自身で調べてこその勉強。それにしても大阪弁モードです。要らんわ~。知的な感じが無くなるねん。

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