« 拓郎さん | トップページ | 続・歴史シリーズ »

歴史シリーズ

時々、思い出したように出て来る歴史シリーズ。昨日が大河の最終回であったこととは無関係です。念のため。

(大河は全然見てませんねん。)

以前の力作、邪馬台国論争で私は邪馬台国は九州は茶所の八女にあったと思うと言う大胆推理を提供しました。

中国のオッサンが、ココはどこや?と尋ねたところ、福岡のおっさんが、八女たいと博多弁で応えたんやね。

たまたまそのオッサンが記事倭人伝を書いてるオッサンに、卑弥呼はどこに居たんやったっけ?と聞く、その

オッサンが八女やでと答えなアカンところを八女たいまでが地名やと思いよって・・・と言うね。

地名+方言が答えだったと言うもの。

それを福岡出身の友人に教えたら、奈良やでと言う意味で、『大和たい』が、邪馬台国になったんと違う?と

言われて気持ちが揺らぎましたが、よくよく考えると奈良に福岡弁のオッサンはそうそう居ない。当時は。

『大和や』と応えるけど、さて。そこでや。河内のオッサンやと、『大和や』⇒『やまっとゃ』⇒ヤマタイに

聞き間違う可能性もあるなぁ~・・・。

いやいや、今回は邪馬台国の話しじゃなくて、これまた歴史のハテナ、本能寺です。

明智光秀さんがなんで信長さんを殺したかはどうでもええ。それは学者さんが考えますやん。文献に当たってね。

私が考えて夜も眠れないのは、信長さんが光秀さんに殺されたとみんながいつ知ったの?と言うことですわ。

そりゃ見てたオッサン、オバハンが、いや~たまたま通りかかったら、なんかお侍さんがチャンチャンバラバラ

やってはるから、どないしましたんやと人のよさそうなお侍さんに尋ねます。ウチの大将が信長さんを討て~と

言うてはるんで、ほな行きましょかと付いてきましたんやけど、もうエライことですわ~と口コミで伝播していく

しかないんでしょ?当時はSNSもテレビも、百歩譲ってラジオもない。瓦版屋も居てませんからね~。

噂の進む距離は交通手段がない当時、1日20キロとかそんなもんちゃうのかな~と。

えらいもんですわ。えらいことで悩んでまっせ・・・と、神さんが教えあうのかなぁ~。

ポンとYoutube に出てきたのが、磯田道史さんの動画です。岡山の歴史解説です。備中高松城の戦いと言うヤツ。

人付き合いは大事で、たまたま本能寺の前に秀吉さんが贔屓にしている商人の長谷川宗仁と言うオッサンが居てね。

家の前の本能寺がワーワー言うてるから雨戸の隙間から外を眺めてたんでしょうな。多分よう判らんから外に出て

気のよさそうなオッサンにでも聞いたのかな。そしたらウチのリーダーの光秀さんが信長さんと信忠さんを討って

しまいましてね~。どないなりますんやろ~?ええかいな・・・とか言うてたんやと思います。え~、これは大変

やがな。贔屓にしてくれてる秀吉さんにすぐに伝えなアカンがな。

どうやって伝えようかと考える長谷川さん。そこは秀吉さんのお友達ですからな。継ぎ馬と言う仕組みがあったん

ですわ。これはめっちゃ大事な情報だから継ぎ馬で大至急に毛利勢を攻めてる秀吉さんに連絡しなアカン。継ぎ馬

と言うのは宿・宿に中継地点としての基地機能を持たせているんです。だからまずはAからBまでダッシュで馬を走

らせる。クルマと違うので馬はバテる。バテる前に次の宿で新しい馬と交換してまた次の宿に向かうんです。だから

早い。光秀さんは毛利さんに3人の足の速いオッサンに伝言を託したんだけど、人だとそんなに長く走れない。それ

に途中で捕まったりして情報が着くのが数日遅れでかつ間違ってたんですって。もちろん市井の方々は京都内だって

『本能寺で変』があったなんて数日経っても知っていたかどうか。(そりゃ知ってるかな。信長さんやもん。)

まぁ頭のいい長谷川さんの好プレーを活かして、さらに秀吉さんが上手に人とモノ(武器や甲冑など)を上手に運んだ

結果、中国大返しと言う歴史的なイベントを成功させ、秀吉さんが天下を取りに行く契機になった。

悩まんでもちゃ-んと答えが判ってましたんやなぁ~。

そしたら・・・もう1つ。山崎の合戦で敗走した光秀さんです。農家のオッサンが長岡京市の竹やぶに潜んでいた

農家のオッサンたちに組み伏せられて首を取られたと言うもの。あれは本当なんでしょうか?

ジジイだったとは言え光秀さん、なかなかに武人ですからね。負けるか?と言う疑問です。

こりゃ判りません。歴史の IF では、光秀さんが天海和尚となって徳川の政治を支えたと言う物語がありますわ。

学者さんに聞きましたら、天海和尚になったと言うのは年齢が合わないらしいのですが、光秀さんの子供だと考え

ると年齢は合うんだそうです。3代将軍が『家光』で『光』の字が重なること。また家光さんを指導したお福さんは

光秀さんと同じ土岐氏の血。天海和尚の素性において前半生がよく判っていないことや初対面であるはずのお福さん

が天海和尚にお久しぶりと言ったと書いてある書物がある・・・。

義経さんが逃げ延びて海を渡ってチンギスハーンになったと言うのは間違っているらしいのですが、果たして・・・。

さて、歴史から何を学ぶのかと言えば、友人は賢い人がええでと言う事ですなぁ~。足の速いオッサンよりも

頭のええオッサンを友人に持とう。そのオッサンが100%正解を導き出せるかどうかは判らんけど、中国大返し

の奇跡は秀吉さんが贔屓にしてた長谷川さんの閃きがあればこそですわ~。

問題は、類は友を呼ぶと言う真理。類友ですわ。

つまりは自分が賢くなければ、賢い人は集まって来ない・・・。

と言う事は、自分がまず賢くなきゃならん訳か。

いやいや。私の周りには賢い方が少なからず居てますので・・・つまりは私も賢いと言う・・・?

こんなことを考えているようではもう伝記には乗らないだろうなと思う今日この頃です。

|

« 拓郎さん | トップページ | 続・歴史シリーズ »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 拓郎さん | トップページ | 続・歴史シリーズ »