歴史・・・ご縁編
ちょっと知って驚いたことがありましてね~。
さいたま市緑区にあります、清泰寺さん。たまたま時間があったのでちょっとお伺いしたのですが、なんと
保科正之さん(会津藩中興の祖にして名君。徳川家光さんの異母弟だったかな。)の育ての母、武田家家老の
穴山梅雪さんの奥さんがここにゆかりがありましてね。
徳川家康さんから、緑区大間木一円を領地として授かって云々と言う謂れがあるんだと前に看板を読みまし
た。歴史家の磯田さんが、保科正之さんは名君でもっと評価されていい人物だと話されていたんで、あら、
幼少期、保科正之さんがここで研鑽を積んだ結果、名君となって会津を栄えさせたんだ~、良い巡りあわせ
で、偶然とは言え通りがかって良かった~と感動したと前に書きました。
そしたらアナタ。
穴山梅雪さんなるオッサンですよ。高校の歴史を西洋史で履修したもんで、知らんなぁ~、でもなかなか素敵
なお名前で・・・と思ってたのですが、歴史の本を読んでいたら、名前が出て来たんですわ。
本能寺の変ですよ。原因?と考えられている怨恨説のもとになった家康さんのご接待。信長さんが家康さんを
招いてご接待をしようと企画して、その対応のリーダーが光秀さんだった。そしたらお料理の中のお魚が腐って
るやんけ~と、信長さんが激怒して光秀さんをボコボコにした事件です。
腐った魚とは、もしや土地柄、琵琶湖の鮒ずしだったんちゃうの~?あれはもともと発酵食品で、今でも苦手な
方も多いけど、値段は高いごちそう?ですわ。
鮒ずしの話しをしようと言うのではありません。
なんと徳川家康さんとその宴会に招かれていたのが、穴山梅雪さんだと書いてありました。
あの歴史的な、いや歴史を変えたかも知れん大事件の場に同席していた人が穴山さんだったなんて!
さいたま市緑区、やるやんか~!
ン?共感が得られていない・・・?
このお寺さんは、穴山梅雪さんじゃなくて、梅雪さんの奥さんの・・・。
こんな歴史の背景を知らずに時間があったからとたまたま拝見したお寺さんが、こんなご縁があった由緒のある
お寺さんだったなんて凄いやんと・・・ねぇ。
導かれたと言うのかなぁ。
私は感動してますねん。よう立ち寄ったことやでなぁ~と。さいたま市緑区で、徳川家康さんや保科正之さんの
ご縁があるなんて思っていなかったからね。
次の大河は徳川家康さんらしいけど、もう何度目やっちゅう話です。ネタがないなら辞めたらええと思うんです
が、保科さんは大河で取り上げるべき偉人だと思うで。何を考えとるねん。NHK。
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