天秤秤
abema でやっていた『絞首刑は残虐』だと訴状を出した死刑囚3人の代理人水谷恭史弁護士と北村春男弁
護士、レギュラー陣の討論を拝見しました。
水谷氏は絞首刑は残虐⇒死刑そのものも残虐・・・と考えておられるようでしたね。
北村氏は、憲法でも残虐な刑罰は禁止している。歴史的に見て釜茹でとか火あぶりは残虐で禁止されている
刑罰だと思われているが、絞首刑は残虐には当たらないと考える。死刑そのものが残虐な刑と言えるかどう
かは別の議論だが。とお話しされておりました。
電気椅子、薬物での死刑をアメリカでは実施しているが、それなら良いのかと水谷氏にレギュラー陣が尋ね
ると、死刑そのものを反対されている?ので、それらが良いとは言えないが、少なくとも絞首刑は残虐だ。
と言うお話しを展開されておりました。
死刑廃止論者の人権派弁護士?は、死刑囚=加害者の人権の擁護ばかりを主張する傾向にあるが、私はむしろ
被害者の人権を唱えたい。被害者遺族の怨嗟の念。うらみを晴らすのには加害者を苦しめる必要があるのか。
それでは天涯孤独の一人暮らしの方ならば・・・みたいな発言が水谷氏から出ていたが、弁護士さん的には
死んだ人は既に人権がないと考えておられる様ですが、亡くなられた方及びその家族だってば。怒り、恨みを
持つのは。
昔で言えば『仇討ち』だよ。ところが法治社会では仇討ちは認められない。個々の恨みも法の下に裁くから任
せてくれという訳ですわ。
やったことが残虐で更生の余地がないと判断されたから死刑と言う判決が出るんでしょ。ならば火あぶりとか
釜茹では残虐過ぎるからやらなくていいけど、世間が妥当と考えている絞首刑で何が問題なのかと私は思う。
ふざけるなと言いたい。殺した時には被害者の人権を考えなかった加害者の人権をなぜ擁護しなきゃならんの
か。残虐な刑罰かどうかを判断し、それを考えるのは死刑囚=加害者ではなく、世間・世論であるばすですよ。
北村氏も別の議論だと言われていた死刑廃止論についても、死刑は無くすべきじゃないと思っています。
法治を護るためにも極悪な犯罪者には、仕事人や仕置人に変わって国が責任を持って加害者の命を絶つことは
あっていい。秩序を保つためには死刑は大事だと考えます。
もちろん裁判の過程で死刑の判決が少なくなり、無期懲役が増えたりするのは世論の影響だから納得はします。
それだって被害者や被害者家族は火あぶりにしてくれと思う気持ちは十分に理解するけれど。
北村氏が少年法で護られているから何をやつても死刑にはならないと語って極めて残虐な犯罪行為をした青年
が居たことを話されておりました。少年法が無ければ死刑になると思えば残虐行為に及ばなかったのではない
か。死刑が残虐な行為を抑制していると言えるのではないかと言う発言は私の腑に落ちました。
先進国は死刑を辞める方向云々と言うのも私は違うと思うな。
日本は日本。警察は極力銃を使わない。
捕り物の時に殺害しない国なんだ。
これこそが先進国のあるべき姿だと思います。そのうえでの裁判による刑罰としての最高刑は死刑で良いと私
は思います。
| 固定リンク
コメント