武蔵野線
私が東村山に転勤を命ぜられて勤務しはじめたのは26か27年前になるのかなぁ~。
ちょうどしばらく後に新秋津駅が豪雨で冠水しちゃってしばらく電車が走らなかったんですよ。
武蔵野線は貨物輸送が大命題で、貨物をより効率よく運ぶためになるべく線路の勾配を無くす
と言う使命で線路が敷設されているので、ちょうど東村山周辺は地面を掘って、トンネルじゃ
なくて谷みたいなところを走っていたんですね。そしたら豪雨で地面からどんどん水が出てし
まって線路が冠水しちゃった。本来ならポンプで排水するんでしようけれど、うまく動かなか
ったのかなぁ?
当時の武蔵野線はまだオンボロの103系ばかりが轟音を立てて走っており、ダイヤもひどい時
は40分くらい電車が来なかった記憶があります。
勤務時には西武鉄道で通勤しておりました。
当時は武蔵野線は完全にローカル線で、貨物だけだと近隣住民に申し訳ないから・・・と言った
感じで、6両編成だったんじゃないかな?今は8両編成だけど。
令和の今では東京メガループの一角で、6分~10分くらいの間隔で電車が走っており、そこそこ
乗客の多い路線に成長しているんだと思いますわ。
やっぱりある程度本数があって、気軽に乗れないと鉄道が生活の一部にならないんだよね。
そこに地方のローカル線の苦悩があるんだろう。
ワンマン化したりしてコスト削減に励む傍らで、ダイヤを1日数本にしてしまうと人が鉄道を当て
にしなくなって徐々に過疎が進む。
より一層過疎が進み限界集落化してしまう。
(写真は103系電車。大阪環状線の車輛だけれど。こればかりが武蔵野線では走っていました。)
最低でも1時間に2本は電車が来ないと、足として利用できないもんなぁ。
次の電車が40分後では武蔵野線もダメだったんだろうと思いまっせ。
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