赤福
昨日、友人君から『赤福』をいただきました。
お土産の中でも特に赤福と萩の月はとても美味しくて大好きです。
赤福を久しぶりに食べましたが、竹のへらが紙のへら?に代わっていて、お~と思いました。
竹は成長が早いからそのままでもSDGsなんじゃないのかなと思いますが、コストの関係なん
でしょうかね。
さてさて、いつもの『伊勢だより』はそのままでしたが絵がヘタウマの絵になってて、あれ?
この絵って東海道53次の浮世絵じゃなかったっけか?と思いましたが、あれはお茶漬けだった
っけ?永谷園の?
次こそ本当のさてさてです。
『伊勢だより』の文面を見ていたら、江戸時代、日永の『追分』から東海道と分かれて伊勢に
向かったと文面にありました。元近鉄内部線、今は四日市あすなろう鉄道の駅名ですなぁ。
追分も日永もね。
ほうほうと感心しながら読んでいると、その先の文面に昔の方々は街道を歩く際には1日6里、
つまりは約23.6キロ歩いたとの記述がありました。
毎日ウォーキングをしている私は交通手段が発達していない昔は1日何キロ歩いたんだろう?
と疑問に思っておりましたので以外に短い距離にへ~と思いました。
マラソンだって1日で42キロも走るのになぁ~。毎日歩き続けるってのは大変だからそんな
もんなんでしようかね。靴がない草履やワラジの時代だから歩きにくかったのかな。
冒頭の永谷園でや有名な?東海道53次ですが、お江戸日本橋から京都3条大橋までおおよそ
500キロくらいのもんでしょ。10キロに1つ宿場町があったとすると2~3つの宿場ごとに
お泊りしていたんですな。街灯がない時代だから明るい間のみしか歩けないとするとそんな
もんなんですな。
ちょっと調べたら別の読み物には1日30キロちょっと歩いたよとの記述もありました。
宿場町の位置にもよるけれど、1日に6~8里ほど歩いてたんですね。
1時間で4キロ歩くとすると7時間で28キロだから、朝ご飯を食べで、途中休憩しながら歩い
て夕方には宿場の宿に入る計算と思えば良い感じだろう。
赤福を食べながら江戸時代に思いを馳せたのでした。
写真は伊勢神宮の参道と、伊勢神宮(内宮)の写真ですわ。
伊勢には時々お参りに行ってます。
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