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誰のため、何のため・・・

昨日は長崎に原爆が投下されてから79年が経過した日とのこと。

原爆投下は無辜の民に向けての大量殺戮行為で戦争犯罪だと私は思います。

長崎の市内に居た方々の大半は軍人ではなかったのだから。

私が長崎の原爆資料館に行ったのはもう10年も前になりますが、欧米の旅行者の方々がうなだれていた

光景を思い出します。あの資料をしっかりと見てもらい、感じてもらう事が核爆弾を知ってもらう事な

んだと思うんです。

影だけを残してこの世から消滅した方々から市内を彷徨い亡くなった方々、そして後遺症で苦しんでい

る方々やその中で亡くなった方々に思いを馳せる式典が執り行われた訳ですが、イスラエルの大使を招

かないと言う対応でG7各国が、イスラエルを招くべきだとの請願があったのに長崎市は取り合わず、

結果、G7各国は大使を参列させないと言う形になったと報道で聞きました。

個人的には原爆の追悼式典は政治色を排して各国を招き、平和を考えてもらう場とすべきなんだと思う

んだ。

今、各国が苦慮しているのが対テロへの対策であり、イスラエルが苦労しているのもまさにそれだ。

ガザの惨事を肯定しているのではない。ライブを襲撃され、多くの人が殺され現在もまだ人質になって

いる方が多くいる。地域における紛争の歴史を遡ると、今回のライブ云々の前、またその前と収拾がつ

かなくなってしまう。

地球上には地球を完全に破壊できるだけの核弾頭があると聞いています。つまりは核の戦端が開けば

報復の核が撃ち込まれ、それがまた報復を呼び込み・・・。

核の抑止力と言う言葉があるが、それは核の惨劇を知っているからこそのパワーでしょう。もう二度と核

が使用されない世界を創るための慰霊とすれば平和な国だろうが現在戦争をしている国だろうが来る来な

いは別としても全世界を招くべきだろうと思うんだ。

長崎市長は政治色でない。警備上の問題だと言ってるみたいだけれど、警備ナンテ目的からするとゴマ粒

ほどの軽さの問題じゃないか。しっかり警備するとそれこそ覚悟を持って式典を開くか、もはや不可能と

言うならば式典をしないかの選択であって、一部の国を排すると言うのが式典の開催要件ではないだろう。

それが誤ったメッセージになってしまうと言う外交上の問題を産んでしまったと言うのだから尚の事だ。

長崎市は自ら慰霊式典に政治を持ち込んでしまった。

今後の式典で困る事態が多々発生するでしょうね。

招待するかしなか・・・誰が判断していくんだろう。

今、戦争をしている国々の面々にこそ慰霊式に来てもらった方がいいんじゃないのか。

一歩間違えれば明日核攻撃があるかも知れない。

慰霊式に来てもらって・・・と言うのは、二度と核爆弾が投下されない様にしたいと言う願いがあるから

なんだからね。

 

 

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