GNO
GNO。
先日のカンブリア宮殿の幻冬舎・見城社長の発言です。
角川書店の敏腕編集者として活躍していた頃から、作家さんや仕事のパートナーと接す
る際には、徹底して心掛けた言葉だそうです。
G=義理、N=人情、O=恩返しの略ですね。
今は残念ながら廃れてしまった言葉、価値観ですが、凄い言葉だと私は直感しました。
GNOは一方的にせっせとし続けるモノではない。これは当事者双方がプラスのスパイ
ラルを創って登って行く思考だと思う。良好な関係が竜巻のの様に渦を捲いて天に昇っ
て行く関係を構築すると言う事です。この竜巻がすなわち『龍』、ドラゴンです。
私は、出来る事ならば自分のフィールドに何本もの天駆ける龍が飛び交う場を創り
たいと思います。金銭的なゴールではなく、龍と暮らすのを楽しいと感じる暮らしを構
築したい。
これが見城社長の言うGNOと言う発想なんだと感じます。
GNOは縁を産みます。龍がそれぞれ仕事をする事もあれば、何匹かの龍が居る事で
仕事が出来る事もある。『縁』と言いますとポッと産まれたモノの様に感じますが、縁を
育む環境が実は必要なのです。
なぜGNOが無くなって行くのか?これは世界的な傾向でしょう。
私は経済至上主義がまん延し、『くれくれ君』が多くなっているからだと思います。
義理を感じず、人情もない。それよりも経済的な利害を優先してしまう。
管前首相などもこのタイプです。何も下の者だけでなく、上に立つ者だって『くれくれ
君』は居るのです。義理や人情と言う価値観がなければ相手に対する念も産まれず
恩返しなどと言う発想も出来ません。龍の卵も産まれない土壌を持つ人です。
ただそれが悪い事だとは思いません。人それぞれです。が、龍はやって来ないでしょ
う。
『神さん』は気まぐれだとよく言われます。信心のある人、恵まれない人を全て助ける
のではないからです。ただ、『助けるべき人の中から助ける』と言う言い方もします。
勝利の女神は一定のパターン化された行いをする人を好む。。。と言う教えです。
欲深いのは×、不正、不摂生、無精は×。明るい態度が○で。。。と言う女神の
好む人の分類と言うお話しが将棋の米長邦夫さんの本に出てました。これは呼び方の
違いこそあれ、洋の東西を問わず真理だと思っています。
仏教なのか神道なのか、はたまた外国の神さんなのかは知りませんが、腑に落ちる
考え方だと思う。
龍は神さんの『使い』です。GNOを徹底するとプラスのスパイラルから運気の竜巻が
出来ます。龍は気まぐれなどではなく、GNOがある所には必ずやってくる幸運の使者
だと言えますね。
経済的な価値がはびこり、GNOが相対的に弱くなって来たからこそ、見城社長が仕事
はGNOだと言うのだと思います。見城さんは『仕事は』だけでなく、生活・家族も賭けて
GNOを通そうと努力しています。努力しているのではなく、本人はその人の為なら全て
を投げ出しても構わないと思っていると言ってました。
だからこそ彼の龍は、力も強いのでしょう。
GNOって考え方、今まで私は『縁』や『運』についてこのブログでいろいろ感じるままに
書いて来ましたけれども、それを発展させる考え方なんじゃないかな~と思う。
独力で経済的な価値を信じて仕事・能力を発展させるのもひとつの道だと思いますが
縁・運に護られた仕事・能力の発展のさせ方があってもいいと思います。
どちらが楽しい生き方か分かりません。
私は個人的には龍と一緒に天を駆けたいと思います。
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